風月庵だより

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飢餓

2010-04-12 10:10:17 | Weblog
4月12日(月)雨【飢餓】

飢餓は最大の病にして 諸行は最大の苦しみなり
これを如実に知るならば 最上の楽なる涅槃あり
(法句203)

釈尊は世界を眺められた時、アーラヴィーというところに住む一人の貧しい男に、預流の機根があることをご覧になりました。そこで、説法にお出かけになりましたが、この男は逃げた牛を探しに行ってしまいました。釈尊は彼が来るまで説法を始めないで待ちました。男は牛を見つけ戻ってきました。飢えに悩まされていましたが、食べないで釈尊の元に行き礼拝しました。釈尊は彼に食事を与えるように給仕の者に言いました。男は空腹が満たされ心が調いましたので、釈尊は法を説き、男は預流果を得たのだそうです。

弟子達がどうして食事の指示をなさったのかと、釈尊に訊ねますと、「飢えに苦しむうちは、法を説かれても洞察できないものです」と仰有り、上記の偈をお唱えになったそうです。(『ダンマパダ』ー大蔵出版283頁ー片山一良訳の因縁話を簡略に紹介しました)

大阪寝屋川で起きた、岸本瑠奈ちゃん(1歳10ヶ月)の痛ましい虐待死の事件。我が家のルナちゃんと同じお名前の赤ちゃん。
瑠奈ちゃんの体重は平均体重よりもはるかに少ない6キロだったそうです。十分に食べ物を与えられていなかったのでしょう。赤ちゃんの飢餓の心身、どんなに切ないことだったでしょう。顎の骨は折れ、タバコの火を押しつけられた跡もあったそうです。

この頃の幼い子等の虐待死について、あまりに痛ましく、記事に書くことはできませんでした。虐待死については書くことさえ辛いですね。それにしても、子を虐待する親の心は、どうしてこのように毀れてしまったのでしょうか。やはり彼らも虐待された経験が心に染みこんでいるのでしょうか。彼らに、罰として、数日間、食を与えない罰があってもよいかとさえ、この恐ろしい尼僧は思うのですが、すでに彼らも子ども頃にそんな経験をしているのでしょうか。もし、そうならば、かえって自分の子どもには、そんな思いはさせないはずだとも思うのですが。刑罰のことよりも、どうして彼らが、このようなことをするようになったかを探り、社会全体で考えることはできないでしょうか。

虐待されて亡くなられた幼い子等の冥福を祈るばかりです。