4月25日(水)曇り【未熟な運転】
このところ、未熟な運転によって、悲惨な事故が引き起こされています。京都の青年による事故も、亀岡の無免許の18歳の青年による事故も、あまりの痛ましさに言葉がありません。
18歳を少年ということはやめよう、といいたい。18といえば立派な大人です。少年という言葉に甘えていさえするのではないでしょうか。少年といえるのは、せいぜい15歳までです。大石主税が赤穂浪士として、立派に戦いに出たのは数えの16歳(満15歳)、楠木正行が湊川の戦いにいく父正成から後を託されたのは数えの14歳(今の13歳)、あげれば限りなく日本男児は、13,4歳で、元服し、立派に大人として生きてきたのです。
なにより道元禅師が出家を決意なさって、比叡山の良顕法眼を尋ねたのは数えの13歳(今の12歳)です。今満年齢で数えていますが、数えで数えるのが、本来と思っています。因みに韓国では今でも数え年齢です。満18歳は、昔風に数えれば19歳ですよ。(*しかし、50歳を過ぎたら満年齢のほうが良いかもしれませんね。冗談ですが)
とにかく社会が子どもをスポイルしすぎています。それは人間をかえって駄目にしてしまってるのではないでしょうか。もう一度、根本から教育や制度や法律も考え直す必要があります。
無免許運転と18歳の少年扱いに対してとは、話がずれてしまいましたが、ちょっと、一言。
さて、全く違う話ですが、私は免許を取得してから25年、20万キロ以上運転しています。ところが、いまだ信号のない道で右折したり左折するのに、右を見て、左を見て、また右を見て、また左を見て、というように全く臆病です。
また矢印のある信号の見方が昨日までわかりませんでした。四面道の交差点で青梅街道から環八に入るとき、信号の見方にいつも迷っていました。環八千歳台というところの信号を右折するときも、直進の矢印で停止線の先まで出て良いのか迷っていました。いけないそうですね。そのうち警察に聞きに行こうと思っていましたら、昨日教えて下さる人がいて、よく分かりました。
青信号だけのところなら、曲がるときに停止線よりも出てよいそうですが、赤信号に矢印の場合は、右折矢印が出るまで、停止線で待っていなくてはならないそうですね。私は本当に運転に未だ未熟であり、無知です。こういう人間も運転しているのですから、歩行者も自転車の人も、車を運転している人も、お互いに、皆気をつけたいと願っています。