風月庵だより

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一週間不眠の体験

2015-11-24 20:48:02 | Weblog

11月26日(木)曇り時に小雨【一週間不眠の体験】

かつて、一週間眠れなかったことを思いだしました。病気でもなく、心配事が原因でもありません。

断食明けに梅干しを食べてしまい、体が極陽性になってしまいましたので、全く睡眠をとれなくなりました。夜の就寝時間には、体は横にしていましたので、眠れなくても全くの不眠とは違うでしょうし、眠れないことが全く苦にならない不眠状態でした。

しかし、これでは体力を消耗してしまうと思いまして、整体の先生ご夫婦に相談しまして、眠れるような体の状態に直してもらいました。

中国禅の修行者の語録や、史伝を読んでいますと、体を決して横にしないで、眠るのも坐禅の姿のままで何十年も修行なさったという記載があります。そのようなこともできるだろうと思います。

当時は断食ほどではないにしても、木の実や精製していない食物も多かったでしょうし、心身の状態が現代の私たちのようではなかったことは確かです。いわゆる極陽性の状態でしょう。

また、現代は、多くの家電製品に囲まれたり、見えない電波が空中に行き交っているような極陰性の中にいますので、研ぎ澄まされた神経を持つことは現代では、かなり難しいでしょう。

断食などしますと、木々の葉の一枚一枚がくっきりと見えますが、あまりに飽食ではそのようなことは先ずありえないことです。私自身はいつも素食ですが、昔の人に比べれば、かなり文化的な生活をしています。

他に騙されないように生きなさいと、道元禅師はおっしゃいましたが、ひょっとすると、道元禅師も騙されるような経験をなさったか、周りに他に騙されて痛い目に遭っている人がいたのかもしれません。

騙すより騙される方がよいとは良く聞きますが、一歩進んで騙される方がいけません。騙す人間をつくってしまうからです。

神経を研ぎ澄ませ、高邁な精神を持ち、他に瞞着されずに、この生を終わりにできればと願うばかりです。。

皆さんは、どのような日々をお過ごしですか。どうぞ、執着のない、潔い生き方をなさってくださいますように。一生は一度きりですから。ちょっと上から目線の言いようで恐縮ですが。


納税義務と身分保証

2015-11-24 10:06:55 | Weblog

11月24日(火)曇り【納税義務と身分保証】

今朝突然、若いころの記憶がよみがえりました。それは、スイス人の友人がドラッグ所持で税関で捕まったことでした。大変に真面目な友人でしたので、信じられませんでした。

しかし、私が若いころはヒッピー文化花盛りの頃でしたので、新宿にも渋谷にも多くの海外からの若者たちがあふれていました。彼女もそのような一人で、スイスから友人たちと来ていたのです。それで、どこの街でも絵のコピーを売ったり、アクセサリーを売ったりして、生活費をつくり、また次の街に旅を続けるというようなことだったようです。彼女は10年以上東京に棲みついて、生活していましたので、その間に親交を結ぶようになりました。

仏教的な信仰心も持っているような真面目な人物だと思います。ところが、インドの空港で知らない人物から、チューリッヒの空港にきているという人に渡してくれと茶色の封筒を預かったというのです。それが、税関でチェックを受けまして、ドラッグが入っていたというのです。

7年ほど、スイスの刑務所に入ることになりました。預かったといってもそれは証明できず、長い間の海外生活の生活費を裏付ける納税証明もありませんでしたので、無罪とはならなかったのです。

この一件は私に、納税は大事な身分保証だということを植え付けてくれたと思います。勿論空港でもどこででも、知らない人から、封筒や何が入っているかわからない荷物を預かることは厳禁です。

若い時には、多くの迂闊による失敗をしてしまいますが、気を付けていただきたいと思います。彼女はまさに青春を謳歌するべき貴重な時間を刑務所で過ごすことになっしまったのですから。

若くなくても、私のような老人でも迂闊な失敗をして苦しんでいることもあります。特に若い皆さんは、ご自分の人生を慎重に、ふてくされることなく、腐らずに、素直に、一歩一歩を大事に、人との交流を大切に、信頼は話し合いから生まれます。

自分の権利ばかり主張するのは、争いを生みますし、特に権利だからと言って、陰でその権利を振りかざしていては、信頼は全く築くことはできません。信頼こそ大事です。信頼をなくしてしまった状態では何をしても無駄です。貴重な若い時を、希望にあふれて生きなくてはならない時を、権利の主張と、それも陰でふてくされて相手の非をつつくような生き方はしないようにと願っています。それは卑怯というものです。

何のために生まれたのか、より良い生活をするためか、人のために尽くして自分を磨くことか、どんな苦境にあってもその中で道を見出していくことか、いろいろと考えてみてください。

一つの道は閉じても、素直に状況の変化に従ったとき、不思議と次の道が開くことを、私は知っています。そうしないで、無理やり閉じてしまった扉を開けようとしても、それは決して開きません。むしろいくつもあったほかの扉も閉じてしまうでしょう。

見通しのきくところに立って、事を見定め、他より決して驕らず、ぶれずに生きてほしいと、若い人には特に願うのです。勿論年齢の高い方も同じですが、その方々には、私の言うことは釈迦に説法なことでしょう。

どうか、若者よ、生き生きと生きて下さい。

なぜ道が閉じたのか、考えてください。