風月庵だより

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聖徳太子考

2017-03-09 10:56:02 | Weblog

平成29年3月9日(木)晴れ花粉多【聖徳太子考】

早速ですが、教科書中で、聖徳太子の表記が「厩戸王(聖徳太子)」となるということですが、疑問と異論を抱いています。聖徳太子という呼称は、周知の事実です。それを何をいまさら厩戸王が主となるような表記にかえるのでしょうか。これでは「拾(豊臣秀頼)」とするのと同じではないでしょうか。もっとも聖徳太子は諡号ですからちょっと違いますが、聖徳太子のお名前は、あまりに浸透しきっている呼称ではないでしょうか。厩戸王を言いたいのなら、「聖徳太子(厩戸王)」(とすべきでしょう。

余談になりますが、私は20年以上前の或る日のこと、突然「聖徳太子は日本を守っています。聖徳太子のテリトリーは日本です」というような声を胸の中に聴き、びっくりしたことがあります。この経験を、奈良の大倭紫陽花邑の故矢追日聖法主様に申し上げましたら、「聖徳太子様は、法主様のよいお友達ですよ、天でよくお会いしています」と奥様に言われたことがあります。

私は特に聖徳太子信仰があるほどではないのですが、聖徳太子信仰をお持ちの方々が、奈良の方には多いのではないでしょうか。たしか大阪に行ったときも、そのような集まりの建物の前を通った記憶があります。

先日、たまたま日本の高僧伝を調べていましたら、聖徳太子に関する記載がありましたので、ご紹介しておきます。

『本朝高僧伝』「巻第六十九 願雑十之一 応化一 聖徳太子伝」より

太子諱聖徳。用明帝第一子。母穴穂部皇子之女也。夢金色僧告白。有救世之願。請託后胎。問卿為誰。曰我是救世菩薩。家在西方。后曰妾身垢穢。豈其宜乎。曰不厭垢穢。但願度生。飛入其口。寐即有妊。而及八月。胎中有声。敏達二年正月初一。后遊禁庭。及至馬厩。太子俄誕。云々

以下、この二〇倍以上の記載がありますが、打ち込むのが大変なので、この辺で。

とにかく教科書という権威ある感じの書物の記載には、よくよく注意しなければならないと思いますね。純粋な子どもたちは、頭から鵜呑みにして覚えようとするのが教科書ですから。しかし、どのような経緯で、聖徳太子に対して、このような記載になってしまったのか。その理由はなんなのか、ご存知の方がいらっしゃいましたらお教えくださいませ。

しかし、イエス様も馬小屋でお生まれなので、真に高貴な方は厩に縁があるのかもしれません。

花粉症が今日はひどいので、早く通り過ぎてほしい季節になってしまいました。今日は午後、近隣の御寺院の晋山式の打ち合わせに出かけます。皆さんも体調管理にお気を付けください。花粉症のくしゃみをするとき、運転している時は事故を起こすと危ないですから、前を見たままくしゃみをしましょう。

それでは、お元気で。

付記:3月20日付けの産経新聞の記事によると聖徳太子の表記を復活させるそうです。

文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指導要領改定案で、現行の「聖徳太子」を「厩戸王(うまやどのおう)」に変更したことについて、文科省が学校現場に混乱を招く恐れがあるなどとして、現行の表記に戻す方向で最終調整していることが19日、関係者への取材で分かった。改定案で消えた江戸幕府の対外政策である「鎖国」も復活させる方向。修正した次期指導要領は月内に告示される見通し。

 現行指導要領では小中学校とも「聖徳太子」を授業で扱うと例示したが、今回の改定案では、人物に親しむ小学校で「聖徳太子(厩戸王)」、史実を学ぶ中学で「厩戸王(聖徳太子)」に変更。文科省は、歴史学では「厩戸王」が一般的で、「聖徳太子」は没後の呼称だが、伝記などで触れる機会が多いとしている。

 文科省は改定案公表後にパブリックコメント(意見公募)を実施。呼称の変更に批判的な意見が多かったほか、教員からも「小中で呼称が異なれば子供たちが混乱する」「指導の継続性が損なわれる」といった意見が出ていた。

 こうした状況を踏まえ、文科省は小中ともに聖徳太子の表記に統一し、中学では日本書紀や古事記に「厩戸皇子」などと表記されていることも明記する方向で調整している。

 

(当寺の桜ではありませんが)