風月庵だより

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大川小学校津波被災児童追悼

2017-03-11 17:18:03 | Weblog

3月11日(土)晴れ【大川小学校津波被災児童追悼】

午後2時46分。心より冥福を祈ります。

やはり大川小学校の悲劇は忘れられません。小学校の校舎の前でお経を唱えていた間中、飛ばされるかと思うほどの風が吹き続けたことが忘れられません。みんなが泣いていると感じました。こっちの世界に戻りたいと思っているのではないかと感じたのです。

只野哲也君は、今でも校舎の掃除をしたりして、大川小学校を震災遺構として残すことを願い、そのようになったそうですが、私も、賛成です。あの塀に描かれた宮沢賢治の銀河鉄道。そのすぐ横の山。どうしてあの山に逃がさなかったのでしょうか。大川小学校を訪れたとき、校舎のすぐそばの山を目にした時、私は本当に驚きました。校長先生が不在であったことも残念です。携帯電話で指示でもされていたのでしょうか。避難訓練はしていなかったのでしょうか。

何かしらの情報を待っていたのかもしれませんが、このような危機状態において大切なのは、事に対処する直感力ではないでしょうか。現代人は情報に頼りすぎているので、直感力が鈍っているのではないでしょうか。

遺族の方々の無念さと、これからもどのように無念の気持ちを乗り越えていったらよいのか。自分が子どもたちの親であったら、どんなにか辛かろうと思えてなりません。いつの日か、再び大川小学校を訪れて、お亡くなりになった子どもたちに語りかけたいと願っています。

お亡くなりになった皆様のご冥福を、心より祈っています。

死者1万5893人、行方不明者2553人(10日現在)。石巻市立大川小学校、児童74人、教職員10人が死亡。

*地震の直後、別の児童を引き取るために学校に行った保護者の目撃によると、今野大輔くんは「先生、津波が来るから山さ逃げっぺ」「こんなところにいたら死んでしまう」と教師に訴えていたという。今野夫妻が知る、大輔くんの最後の言葉だ。

大川小学校の子供たちが津波に襲われたのは、不可抗力でもあるかのように、この校長も、市や県の関係者も言っているようですが、例えば、自分の子どもが、もしそのような目にあってもやむを得ない、自然災害と思ってあきらめるなどと言っているようですが、不誠実極まりない言葉です。裁きはこの世ばかりではありません。大川小学校の悲劇は明らかに判断ミスによるものです。それを認めなくては、また同じような過ちを犯してしまうでしょう。ごまかししてはならないことと思います。

認めたからと言って、子どもたちが生き返ってくれるわけではありませんが、判断を間違ったことをせめて認められれば、かすかな救いがある、といえましょう。あの世に届けられるでしょう。「山さ逃げっぺ」と言った大輔君も「僕の言う通りだったっぺ」と、せめてあの世で「ほらね」と喜んでくれるような気がします。

ただ裁判になりますと、賠償金の問題がありますので、素直に認めてしまうと払いきれないということになって、必死の抵抗をしているのではないでしょうか。賠償金のことはあきらめて事実を認めるだけでもよい、ということにしたら、随分違うのではないでしょうか。お金の件は、ある程度のところであきらめて、それよりも事実を認めてほしい、という戦いにしたなら、本当は「ごめんなさい」と言って、救われたいのは、校長先生はじめ行政のほうでしょう。

お金が絡むので、「ごめんなさい」とは言えない裁判なのです。何が一番大切か。あの世に突然逝ってしまった子どもたちが救われることでしょう。大人の判断ミスを謝られることによって、はじめて霊も休まると思います。ご両親や遺族の方々が、心休まらず、裁判で争い続ける姿に、子どもたちも心を痛めているのではないでしょうか。悔しい気持ちは痛いほどわかりますが、一番大事なことは、もうある程度お金のことはきりにして、大人たちに過ちを認めてほしい、それだけではないかと思います。

そうしてお父さん、お母さんにこれ以上苦しまないでほしいと願っているでしょう。生涯心の中に子どもたちは生き続けるでしょう。この世に命のある限り生き続け、思い続け、何をしても思い続け、傍らにいると思って、生き続けてほしいと思います。そうして、いつの日か自分たちもあの世に帰る時が来ます。お子さんたちが迎えてくれるでしょう。ご遺族の皆様の心が癒されますようにと、切に切に願ってやみません。