風月庵だより

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老老介護記 母との合唱

2019-02-01 10:19:42 | Weblog

2月1日(金)晴れ、寒い【老老介護記 母との合唱】

母がしばらく帰っていました。施設にお願いしたり、帰ってきたりで、なんとか私も時間を使うことができます。やはり夜何回も起きなくてはいけない、ということがかなり私にとっては負担になっているようです。施設に預かってもらうこともできないご家庭は、大変ではないかと思いますが、ご家族が何人かいるとよいですね。

さて、この度は、母といろいろな歌を歌ったりして、楽しみました。島倉さんの「東京だヨ、おっ母さん」とか、「影を慕いて」とか「夏も近づく」とかです。私は「東京だよ…」の2番は苦手です。「優しかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと 桜の下でさぞかし……」「逢ったら泣くでしょ 兄さんも」という歌詞になるとつい涙がでてしまいます。私の兄は戦争ではなく、クモ膜下出血によって突然にこの世を去りました。まだ57歳という若さでした。

「知床旅情」も歌いました。ルビの振っていない歌詞カードでしたが、一字を除いてすべての漢字を読めるので母の頭脳はまだしっかりしていることがわかりました。読めなかったのは「羅臼」という文字だけでした。母が子供の頃に家が没落して、子供のころから奉公にだされたのだそうです。大きな足袋屋で何人も職人さんがいたそうですが、お父さんという人が母の母親が亡くなってしまってから、大酒飲みになってしまい、店は潰れたのだそうです。昔、足袋屋は繁盛した職業のようです。そんなで学校には行けませんでしたが、自分で努力して字を読むことも書くことも立派にできます。計算もできます。

母が奉公先の赤ん坊を背負って、つい先日まで通っていた小学校に行って、教室を覗いたそうです。そこの壁には上手だったので貼りだされていた自分の絵が飾ってあったのを見た、という話を聞いたことがあります。この話を思い出すと私はやはり泣けてきます。今も涙が浮かんできます。赤ん坊を背負う幼い母の姿と、その時の心情が思いやるのです。切なかったろうと思うのです。「おしん」という番組がありましたが、おしんのような頑是ない子が、子守りをしている姿が目に浮かびます。

母と歌を歌いながら、今年は103歳になろうという母とこうして歌を歌うことも、いつまで続くか、と、ふと思うと、やはり涙腺が緩んできて困りました。

しかし、そのあと、トイレ介助が大変なことになって、涙は吹っ飛んでしまいました。老老介護をつとめている皆様、どうか、自分もインフルエンザにはご注意くださいませ。はや2月です。

(外猫の母猫と娘の猫です)

 

#老老介護記

#おしん時代の母の姿