2月11日(月)曇り【『法華経』メモ「方便品」2】
今日も寒いですね。でも、このあたりは、昨日は少し雪が土の部分だけ積もっていましたが、夕方にはすっかりとけてしまいました。仏壇の移動を頼まれていましたので助かりました。
さて、再び「方便品」について、少し書いておきたいと思います。恐縮ですが、自分の覚えですので、お付き合い願います。また間違っていることを書いていたりしましたら、ご指摘くださいませ。
「我出濁悪世 如諸仏所説 我亦随順行」:
「我、濁悪世に出でたり、諸仏の所説の如く、我も亦、随順して行ぜん」:『賢明な世間の指導者[であるブッダ]たちが語られるように、そのように私もまた実行するでありましょう。私もまた、この恐ろしい激動の[時代の]ただ中で、衆生たちの汚濁の真っただ中に生まれてきたのである[からです]』(書き下し・現代語訳 植木雅俊)
同じ個所を岩本裕訳では次のように訳しています。「賢明な世の指導者たちが語るように、余もまた、そのように言うことにしよう。余もこの怖ろしい揺れる世界に、人々の堕落の真中に出現した」
私は残念ながら、サンスクリット語は分からない。しかし、岩本訳ではピンときませんでしたが、植木訳を読むと、お釈迦様の時代も「恐ろしい激動の時代」という表現によって、この世は、「いつの時代も激動の時代なのだ」と深く感じました。お釈迦様の故郷の町であり、シャーキャ族の中心地であったカピラヴァスツも、コーサラ国の瑠璃王に滅ぼされていたり、この時代も決して穏やかな時代ではなかったのです。しかし、地球が第一次世界大戦や第二次世界大戦を終えても、いまだあちこちで戦争の絶えない状況です。地球人類は争いを克服することのできない人類なのでしょうか。
(昨日の雪はうっすらとお地蔵様の頭にも。前日にあまりに寒いので毛糸の帽子を被っていただきました。)