風月庵だより

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『衆生ほんらい仏なり』を読んで

2020-01-22 21:56:26 | Weblog

1月22日(水)曇り【『衆生ほんらい仏なり』を読んで】

昨年ソウルの友人の比丘尼会会長就任式に、中宮寺の日野西光尊門跡様とご一緒に招待されました。ソウル訪問記に本当に素晴らしい尼僧様のこの方をご紹介したいのですが、まだご本人の了解を得ていませんので、ご著書のみ紹介させていただきます。

(実は今夜はもう眠くてたまらないほどになりました。今税務署に提出するための収支計算書を作成していまして、頭がかなり疲れているようです。住職は本当に社長であり経理であり総務であり掃除担当者であります。猫のおつきでもあり大変です。また明日書きます。)

中宮寺の御本尊如意輪観音様は、聖徳太子様が御母后の姿を刻まれたと言われいるそうです。(私が霊言を頂いた初めの言葉が「今も聖徳太子様は、この日本をお守りくださっています」という言葉でした。)

光尊様は、京都吉水学園尼僧専修学校であり、光照院門跡の大叔母様から、出家を勧められて中宮寺の門跡になられたそうです。それまで戦中戦後の物の無い時代をご苦労なさり、中宮寺に入られてからも、経済的にも決して楽ではなくご苦労が多かったようです。周りのことなどでもご苦労が多かったようですが、大変に柔和なお顔をなさっていて、私の第一印象は、我慢強いお方だという印象でした。門跡様というと、お高くとまっていらっしゃるのでは、という先入観がありましたが、全くそのようなことはありませんでした。

この本『衆生ほんらい仏なり』(春秋社、2018年)には、出家者として常に求道の姿勢と心を忘れず、精進し続けていることの数々が書かれています。現在90歳になられますが、この一冊の本の中に、人間として信仰を持ち信仰に導かれて生きる姿が、まことにわかりやすい言葉で、さらに珠玉の言葉で書かれていて、読んでいて心洗われる思いです。また、精進、修行の日々に我が身を振り返り反省させられることが多いです。

さて、私の印象は別にしまして、本書の内容ですが、一概に書くことは難しいです。多岐に渡っています。中宮寺は今は聖徳宗ですが、もとは真言宗で、「入我我入」の坐禅、阿字観の行法を毎朝の行としているそうですが、道元禅師の『正法眼蔵』も学ばれ、内山興正老師のご著書も学ばれ、西洋哲学、多くの経典にも学ばれ、まことに精進なさり続けています。

聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」について、この本の処々に、この言葉の持つ意味も説かれています。
「世間虚仮というのは、結局は諸行無常ということで、私たちが生きて生活しているこの世の中は、実体のない仮の「空」の姿であり、常に変化しているのです。それを何か本当に存在しているかのように思うことから、苦しみが出来、腹が立つのです。つまりこの世間は諸法無我でいかなる存在も自分自身でさえも永遠不変の実態を有しないということです。」(15頁)

「次に唯仏是真とは、「ただ、仏、これ真」ということですが、太子様はこの世の中を仏の「仏国土」にしたいというお心で、『十七条憲法』を御作りになりました。(略)仏教の仏さまというのは、私たちの理想のお姿として、こういうお姿ですよ、ということで仏像があります。(略)いま唯仏是真の「仏」とは、私は仏像の仏さまではないと思うのです。この「仏」というのは、私たちみんなが仏であるということです。私たちは本当はみんな仏なのです。けれども、それに気付いていないのです。内山興正という曹洞宗の老師様がおっしゃっている言葉に、「人は生まれることによって、命が生じたのではない。天地いっぱいの命が、私という思い固めの中に汲み取られたのである。人は死ぬことによって、命がなくなるのではない。天地いっぱいの命が、私という思い固めから天地いっぱいの中にばら蒔かれるのだ」とあります。私はこの言葉が大好きです。本当にそうだと思うのです。」(20頁)

(内山老師は、このブログを書いている私も、老師ご存命中は、10年に亘って教えを受けに押しかけさせていただいた老師です。私も老師のこの言葉は、我がこととしても大切にしています。)

「(前略)今が大切なのです。今現在の生活、今の心がけが、次の瞬間そして明日の、これからの生活の基礎となってゆくのです。結局、今が出発点で常に生まれ変わるのでございます。今日、今の心がけ一つでどうにでも変わる世の中、実に楽しいではありませんか。」(61頁)

「弘法大師はまた『大日経開題』で、仏に成ったということは、正しい悟りを得、正しい智慧に働き、現象に動かされず、永遠の命を備えるということで、言い換えれば、天然自然のあるがままの姿になったということである。全く新しいものが作られるということではない」とはっきり言っておられます。では、ベールの下の「本当の自分」とは何でしょうか。」(74頁)

以下はご興味のある方は、本をお求め頂き、道を求めて精進し続けていらっしゃる光尊様に学んでくださいませ。

*この題(白隠禅師の『坐禅和讃』の言葉ですが)が示しますように、やはり如来蔵思想を是としていますが、私もそれは分かりやすいとらえ方だと思います。一頃、批判仏教盛んな頃、本覚思想は目の敵のように批判されましたが、理論だけでは人は救われません。仏教を学問で斬ってしまいますと、浅学の私も含め、仏教を畏れおののき、精進からも遠のいてしまう残念な現象が起きます。いろいろな角度から諸々の考え、見方があってよいと、私は考えます。人々を救いたいと願った釈尊の教えが、百人百色の人々のそれぞれに届きますように。