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聖徳太子考(5)十七条の憲法その2

2021-11-13 18:39:29 | Weblog

11月13日(土)晴れ【聖徳太子考(5)十七条の憲法その2】

十七条の憲法を読みますと、世の中について考えることなど、自分自身も教えられることが多々あります。他人のことよりもまず自らを正したいですが、是非、現代の政治家の皆さんにもお読みいただけば有難いと思いました。

しかし、仮名は平安時代以降ですし、女文字などと言われていたのですから、公的な文書は漢文です。まことに浅学ですが、当時の方々はどのように読んで解釈していたのでしょうか。当時の役人になった豪族や貴族たちは漢文が読めたのでしょうか。また中国語の発音で読んでいたのでしょうか。どなたかにお教えいただけたら幸甚ですね。

さて、前の続です。

六に曰いわく、悪を懲(こら)し善を勧(すす)むるは、古(いにしえ)の良典なり。是(ここ)をもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見ては必ず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)ひ詐(いつは)る者は、則(すなわ)ち国家を覆(くつがへ)す利器(りき)たり、人民を絶つ鋒剣たり。亦(また)佞(おもね)り媚(こぶ)る者は、上に対しては則ち好(この)むで下の過ちを説き、下に逢ひては則ち上の失(あやまち)を誹謗る。それ此の如きの人は、皆、君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。

●「諂(へつら)ひ詐(いつは)る者、佞(おもね)り媚(こぶ)る者」は役人として、あるべからざる姿と太子は強調しています。たしか「忖度(そんたく」という言葉が、つい最近、政治の世界で随分使われ批判されていたと思いますが、まさにこのことを太子は見抜かれていたのです。どうぞして現在の政治家も官僚の皆様も心していただきたい箇条です。『仏遺教経』の中にも「諂曲(てんごく)」するなかれ、という個所があります。自分自身も諂わずに生きていきたいと、いつも心しています。

七に曰いわく、人には各任あり。掌(つかさど)ること宜(よろ)しく濫(みだ)れざるべし。其れ賢哲官を任ずれば、頌音(ほむるこえ)則ち起り、奸者官(かんじゃかん)を有つときは、禍乱則ち繁し。世に生れながら知るもの少なし、剋(よ)く念(おも)ひて聖と作る。事大少となく、人を得れば必ず治まり、時急緩となく、賢に遇へば、自から寛(ゆたか)なり。此れに因て国家永久にして、社稷(しゃしょく)危きこと勿(な)し。故に古の聖王は、官のために人を求め、人のために官を求めず。

賢哲官は、賢く道理に明るい人を役人と、奸者官はずるい者のこととで、そのようなものを役人に任ずると、禍や乱れが世の中に生じてしまうから気を付けるように。この当時もとんでもない者でも、世襲として官職についていたようで、そのような愚かな政治をしないように、十七条の憲法発布の前年推古天皇11年(603)に「冠位十二階」を制定したのだという。ちょっと待ってください、現在も親の地盤を受け継いで、代議士になっている政治家も多いのではないでしょうか。

八に曰く、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、早く朝(まい)り晏(おそ)く退(さが)れよ。公事は盬(いとま)靡(な)し、終日にても尽しがたし。是を以て、遅く朝(まい)れば急なることに逮(およ)ばず。早く退(さが)れば必ず事尽さず。

「群卿」とは朝廷に仕える大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)などの高位の公達で、「百寮」はその他一般の官吏のことです。このことは政治家の皆さんに声を大にして言うべきことでしょう、が、一般会社員に対しては、いかがなものでしょうか。それぞれには家に帰れば家族もいます。また睡眠時間は7時間はとってほしいです。勤めている間、睡眠時間が十分でないと、定年になってから病気になるケースが多い、と何かで読んだ記憶があります。太子の時代は役所の勤務時間は、何時から何時くらいまでだったのでしょうか。電気がないのですから、いずれにしても明るい時間だったのではないでしょうか。それほど長い勤務時間ではなかったのでは、と推測します、が、このようなことを研究なさっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

九に曰く、信(まこと)はこれ義(ぎ)の本なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成(なる)も敗(やぶる)も、要(かなら)ず信にあり。群臣共に信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なくんば、万事悉(ことごと)く敗れむ。

誠実こそは、人間として生きていくうえで大切なことだと、この頃よく思います。この信は誠実に通じる「まこと」でしょう。私が今この十七条の憲法をブログに載せるにあたって参考にしている書物には、「まこと」とルビが振ってあります。あらためて辞書を引いてみますと、同義語として、誠実、真実があります。私自身、自分の役目に誠実でありたいと、いつも心しています。また、人の役目の領分に立ち入ることは気を付けたいと思います。これも大事なことと思います。お互いに。他を尊重することであろうと思います。

十に曰く、忿(いかり)を絶ち、瞋(いかり)を棄て、人の違ふを怒らざれ。人皆心あり、心各執(と)るところあり。彼是とすれば則ち我は非とし、我是とすれば則ち彼は非とす。我必ずしも聖に非ず、彼必ずしも愚に非ず、共に是れ凡夫のみ。是非の理、詎(なん)ぞ能(よ)く定むべき。相共に賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきが如し。是を以て、彼の人瞋(いか)ると雖(いへど)も、還(かえ)って我が失(あやまち)を恐れよ。我独(ひと)り得たりと雖も、衆に従ひて同じく挙(おこな)へ。

本師が常々言葉にされていましたが、「なにが良いか悪いかわからんぞ」是非を論ずるな、ということを耳にたこができるほど聞かされました。坐禅中、眠っていたようでも、口宣をしっかりと覚えています。太子も人々の争いの根本に是非を論じ、自分を正しいと主張するところに争いが生じることをご覧になっているのです。「共にこれ凡夫」、然り、ごもっとも、ですね。忿(いかり)は心の中のいかり、瞋(いかり)は外に表れるいかり   と区別するようです。鐶は金の輪のこと。

原文

五曰、絶饗棄欲、明辨訴訟。其百姓之訟、一百千事。一日尚爾、況乎累歳。頃治訟者、得利爲常、見賄廳讞。便有財之訟、如右投水。乏者之訴、似水投石。是以貧民、則不知所由。臣道亦於焉闕。

六曰、懲惡勸善、古之良典。是以无匿人善、見-悪必匡。其諂詐者、則爲覆二國家之利器、爲絶人民之鋒劔。亦佞媚者、對上則好説下過、逢下則誹謗上失。其如此人、皆无忠於君、无仁於民。是大亂之本也。

七曰、人各有任。掌宜-不濫。其賢哲任官、頌音則起。姧者有官、禍亂則繁。世少生知。剋念作聖。事無大少、得人必治。時無急緩。遇賢自寛。因此國家永久、社禝勿危。故古聖王、爲官以求人、爲人不求官。

八曰、群卿百寮、早朝晏退。公事靡監。終日難盡。是以、遲朝不逮于急。早退必事不盡。

九曰、信是義本。毎事有信。其善悪成敗、要在于信。群臣共信、何事不成。群臣无信、萬事悉敗。

十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。、我獨雖得、從衆同擧。

 

本日はこれまでにて失礼いたします。