風月庵だより

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飛行機雲

2008-01-19 18:28:52 | Weblog
1月19日(土)寒し【飛行機雲】

高村光太郎の道程について、この前にログを書いたら、空に飛行機雲が何本も見えました。上空はかなり気温が低いのでしょう。しかし、すぐに跡形もなく空に消えていきました。

私たちの歩いた道は、肉眼には全く見えませんけれども、「僕の後ろに道はできる」
後ろにできた道は自分にしか描けない唯一の道です。最期まで、最期まで。

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4 コメント

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ご法話、拝聴しました (吉田尚文)
2008-01-20 19:37:50
今日、ラジオ日経でのお話を拝聴しました。

私のほうは、過酷な仕事のため心身ともに疲弊しておりましたが、
ひと時の癒しと学びをいただきました。

「いのち」をみつめて、最期まで、
時々刻々、大せつに生きたいものです。
有難うございました。 拝
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吉田尚文さんへ (風月)
2008-01-20 19:47:36
懐かしいお名前を見て、どんなにか嬉しかったでしょう。

お仕事大変なご様子ですが、くれぐれもお体にはお気をつけ下さい。時には体にも休息が必要です。

是非一度遊びにいらしてください。月、水、金が都合が良いです。寒いですから風邪など引かないようにしてください。手洗いとうがい励行してください。くれぐれも健康には留意して下さい。
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凡人の道は消えてゆく? (光泊)
2008-01-24 23:44:10
面白い写真ですね。空に落書きか、巨大なサーチライト。
人生振り返れば一本道。前を向けば枝分かれした道ですね。言い換えれば、過去に対しては選択権がなく、未来に対しては選択権があるように思えます。
しかし未来に対しても選択権はないかもしれません。先に幾つかあるうちの一本だけが本物で後は幻想。本物しか選ばないし、選べない。人生曲がりくねっていても一本道。自分が選択してきたと言うのも幻想。全ては神の御心、運命のままに、ひたすら生まれて死ぬのみ。
ところで過去が金太郎飴のように実態として存在すれば面白いですね。タイムマシンに乗れば、過去の自分に会えます。しかし実際は過去の自分は跡形もなく消えていっているのではないでしょうか。
現時点の自分しか存在しない。記憶に残っている過去は、実は過去でなく現時点の夢のようなもの。凡人の人生は将にそうなものではないでしょうか。
しかし非凡なる人、即ち非凡な功績を残した人の過去は歴史に刻まれ、消えることがないのです。例えばエベレスト初登頂。その人は最近亡くなりましたが、どう言うルートだったか歴史に残ります。人間ではありませんがハレー彗星は宇宙に過去をバラ撒きました。地球がそこを通ると流星雨となってハレー彗星の過去が開陳されます。同様に秦の始皇帝は万里の長城と言う航跡を残しました。
凡人、非凡人も過去が残る残らないはあるにせよ、人間は所詮無に帰します。有(卵子精子の結合即ち生命)に生まれて無(死んで水と有機ガスと灰分即ち物質に帰る)に帰すのです。
この自分が無に帰すというのが理解を超えていて始末に終えません。科学ではなく哲学、宗教ですね。

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光泊さんへ (風月)
2008-01-25 11:07:28
コメント有りがとうございます。たしかに〈この自分が無に帰す〉ということが一番理解に苦しむところです。理解というより受け入れるといったほうがよいでしょうか。

昨日、聖徳太子伝説について、駒澤大学の石井公成教授の「聖徳太子論争はなぜ熱くなるのか」という論文を読みましたが、これもまた面白い跡です。聖徳太子は実在しなかった、という説もありますし、後世の者の作り話が多い、という説もありますし、有名人もいろいろに脚色されてしまいます。織田信長にしても悪人にされたり、優秀な人物にされたり、いろいろです。

無名であればそのような煩わしさはありませんね。また人間についてよりも造形物のほうが跡を残しますね。万里の長城しかり、タージマハールしかり。後世の人間に楽しみを与えることができます。

しかし、どんな道でも自分の道は自分に刻まれていく、目には見えなくとも。

私は反省することが多いですが。あまり振り返らない方がよいかもしれませんね。

ところでこの写真は面白かったです。これほどに飛行機雲が見えるチャンスは少ないです。ちょうど外に出たらこの場面に遭遇しまして、すぐにカメラを取りに行きました。
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