風月庵だより

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梅早春を開くー僕の後ろの道

2008-01-18 13:20:27 | Weblog
1月19日(土)寒し【梅早春を開くー僕の後ろの道】

芝公園を散歩していると、梅の香りがどこからともなく香ってきた。公園には数十本の梅の木があるが、そのうちの一本が、はや花をつけているではないか。

道元禅師のお師匠様である如浄禅師(1163~1228)の言葉がすぐ脳裡に浮かんだ。「梅早春を開く」(こういう言葉がすぐ浮かぶところは、私はやはりお坊さんというところでしょう。しかし、この言葉は曹洞宗のお坊さんには、周知の言葉なのですが)

歳旦。上堂。元正啓祚。萬物咸新。伏惟大衆。梅開早春還見麼。舉拂子云。一枝拈起眼中塵(大正蔵経48巻123頁c)

歳旦さいたん。上堂。元正啓祚がんしょうけいそ。萬物ばんもつことごとく新たなり。伏して惟おもんれば大衆だいしゅ。梅早春を開く、還た見るや。拂子ほっすを舉げて云く、一枝、眼中の塵を拈起す

お寺の修行僧たちを前にして、新年のお言葉である。「梅早春に開く」とは読まないで、「梅早春を開く」と読むのだと、何度と無く聞かされてきた読み方である。「に」と「を」の違いをかみしめたい。春が来たから、梅が開いたのでは無く、梅が開いたから春なのだ、ということ。

そして、私は高村 光太郎(1883年~ 1956年)の「道程」という詩を次に思い浮かべた。

     僕の前に道はない
     僕の後ろに道は出来る
     ああ、自然よ
     父よ
     僕を一人立ちにさせた広大な父よ
     僕から目を離さないで守ることをせよ     
     常に父の気魄を僕に充たせよ
     この遠い道程のため
     この遠い道程のため


この詩は光太郎、30歳ごろの詩である。
僕が歩いて道はできるのだ。誰でも、歩いてきた人生のひとすじの道。どんな道でも自分の歩いてきたひとすじの道である。時にはつまずいたかと思い、時には挫折などという言葉で振り返ったかもしれない、それでも自分の道は続いていたし、終わりまで描き続けていくのだ。僕が、私が、それぞれの道を描いていくのだ。梅が早春を開くように、どんな道でも、この自分が歩いて、それぞれのシュプールを描いていく。絶対空間のただなかに。(この空間は視覚的な空間ではない)


さあ、最期までどんな道を描いていくか、「ああ、自然よ、父よ、広大な父よ」光太郎は父と表現したが、母でも同じだろう、しかし、若い光太郎にとって、厳しさに立ち向かう気魄が父と言わしめたのであろう。反発をして、越えようとしていた実際の父である、高村光雲を脳裡に浮かべていたのではなかろう。我々を生かしめている大自然を前に、信念を抱いて敢然と歩んでいこうとしている光太郎の姿が、この詩から彷彿としてくる。

さあ、私たちも若くも年を重ねていても、それぞれの我が道、道無き道だが、敢然と歩いて参りましょう。

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4 コメント

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失礼いたします。 (tenjin95)
2008-01-19 19:13:23
> 管理人樣

拙僧も、この高村光太郎の詩は好きなものです。そして、この紹介されている如浄禅師の上堂は、「梅華」巻に引用されていますけれども、梅の季節でしょうか。
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tenjin和尚さんへ (風月)
2008-01-20 19:37:25
この詩は私も好きです。きっぱりとした感じがします。

はや梅の季節ですね。しかし今は早咲きの梅です。如浄禅師が新年に詠まれた梅も、住職地が中国の南であり、陰暦の新年といっても、やはり早咲きの梅だったのだろうと思いました。
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梅の花 (ミチコ)
2008-01-22 07:43:34
 仏教的にはもっと深い意味があるのでしょうが、「梅が咲くから春」というのは何となく分かる感じがします。四季の花を求め、スケッチしていると感じます。自分が、いようと いまいと花は咲き、春が来ているのにその余裕がないと自分には何時も春がないのですね。
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ミチコさんへ (風月)
2008-01-22 20:42:15
「梅が春を現じている」と表現したほうがよいかもしれませんが、これが仏教的といいますか、禅的に言って、大変に深い意味を表していると言ってよいでしょうか。私の師匠は次のように言われました。

「私どものうつろいゆく、かりそめの、うたかたのこの命において、天地法界の命がそこに現ジテいる」「梅早春を開く」をこのように説き明かしてくださいました。

私の説明はまだ十分にこなされていませんので、不十分ですみませんが、私の師匠の言葉を味わい下さい。
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