7月18日(日)晴れ【工事完了ー吾常於此切なり】
2月1日から始まりました当寺本堂の銅板屋根の全葺き替え工事並びに本堂内部の格天井板の全張替え工事は、お蔭様で完了になりました。
境内の一角に建っていたプレハブと、朝の7時には早々と到着していた監督さんの車です。
一昨日、プレハブも撤去されました。約半年の間、ずっとあった物が無くなり、一抹の寂しさがあります。
しかし、この半年の間、職人さんたちのそれぞれの働きを見せて頂けました。例えば銅板を外した後、宮大工さんたちが野地板をきれいに打ち付けたり、傷みがひどいところはそれをとって補修したり、板金の職人さんたちが銅板を貼る技術の見事さや、足場の職人さんが、解体工事の時、足場となっていたポールを次々に上から落としてくるのですがリズミカルに見事に受け取る技術やら、汚れのひどかった格子を根気よく灰汁洗いをしたり、さらに張り合わせた板で作られていたぼろぼろの大鬼を、立派に作り替えてきて、多くの人の力や重機を操り、棟の両側に取り付けてくださったり、等々、枚挙にいとまのない素晴らしい働きを見せて頂きました。またあまり表立っては見えませんが、全体の工程の青写真を考えていてくださる設計技術の人の働きもあるでしょう。
お一人お一人の職人さんのお働きと、さらに多くの人のそれぞれの働きが一つになって、なにか仕上げていくこと、これこそ神通と言えるのではないでしょうか。
また、同じ教区のご住職から、必ず総監督さんが付く会社に頼むことがよい、とアドバイスを頂きましたが、まことにその通りだったと、途中でも思いましたが、工事が完了した今、まことにその通りだったと痛感しています。朝早くから夜遅くまで責任者としてのお働きや、忘れられないのは、まだ下地の防水材料が張り終わっていない箇所があるときに、大雨が降りましたが、そんな時は真夜中でもずっと屋根裏に詰めて雨が降り込んでくるのを防いでくださっていたことです。
見えない働き、ということが私は好きですが、このような時脳裏に浮かぶ言葉は「吾常於此切(吾常に此に於いて切なり)」という文言です。
洞山良价禅師の言葉からきていますが、道元禅師様の『正法眼蔵』「神通」巻に出てきます。
日常の人生の中において、不染汚であること(*これが神通である、などと思わないこと、とここでは訳しておきます。)、これが平常心(ふだんの心)であり、私は常に日常の日々の働きを大切にするのです。
というような道元禅師様の教えといってよいでしょうか。空を飛べたり、宙に浮いたり、遠方で行われていることが見えたり、そういうことが神通ではない、というお考えです。この「神通」の巻にも、前のブログに書きました「運水搬柴」のことも出てきます。(*四果は仏道の調度なり、いわゆる四果は受持四句偈なり、については、別項で参究したいと思います。)
*神通とは、誠実(まこと)を込めた働きと、私は付け加えたいです。
*プレハブが撤去された方の写真には「組まれた木」が見えますが、実はこれも監督さんの神通のお働きです。さて、なんだかお分かりになりますか?
とにかく、これで当寺の本堂の工事は完了です。有難うございました。
#金剛組 #神通力とは #吾常於此切 #平常心 #監督
工事の無事円成、何よりのこととお喜び申し上げます。
やはり、業者さんの選択は重要ですね。ここ数回の記事を見て、そう思いました。