7月4日(日)午後雨あがる【百不当の一当ー金剛組の営業さん】
当寺の半年にわたる改修工事も間もなく終了を迎えます。今は、いよいよ最後の仕上げ段階と間もなく後片付けに入るでしょう。
何事も始めがあり、間があり、そして終わりがあります。
何事も始めが無ければ、間もなく、終わりもありません。
当寺の工事は、この度金剛組という寺社工事には特に精通している会社とご縁を頂き、お任せすることができました。仕事の着実さ、丁寧さ、等等、まことに安心のできる仕事ぶりでよかったと思っています。
銅板の屋根工事の方法にしても、古い銅板の上にそのまま新しい銅板をかぶせるという工法をしている業者の記事を、『中外日報』でも目にしましたが、それは乱暴なやり方ではないかと思います。金剛組さんの工法は、古い銅板は外して新しい銅板を葺きます。
このように古い銅板を外しませんと、その下の野地板の傷みを見つけることもできませんし、張り直すこともできません。この度小屋裏にのぼってみまして、新しい野地板に作り替えてある箇所を目にしました。(以前客殿の瓦屋根を葺き替える時は、野地板はかなり傷んでいましたので、全て張り替えました。)
建築について素人の住職ですが、監督さんや職人さんのお蔭で、少し学ぶことができました。
これで願わくば百年は持ってもらいたいと思いますが、果たしていかがでしょう。空から眺めるところといたしましょう。
さて、この度金剛組さんとの縁ができましたのは、一人の営業の方のお蔭です。実は毎年のように、といいいますか、一年に一度だけではないかもしれません。「金剛組ですが、なにかお仕事がありましたら、宜しくお願いいたします。」と、実ににこやかに名刺を置いて帰られる営業の方がいました。こちらの方は、それほどの工事もありませんので、(また来たの)と少し迷惑気味に応対をして、名刺だけ頂いていたのです。
この諦めの悪い営業さんのお蔭で、名刺を探し出して、連絡することから始まりました。このような時、私は道元禅師様の「いまの一当は、むかしの百不当のちからなり」という言葉を思い出します。この営業さんの努力に対しての私の感慨です。
もしかしたら百不当のまま終わるかもしれませんが、その努力のエネルギーは、大したものと思います。
そんなであらためて、この言葉が説かれている『正法眼蔵』「説心説性」巻を、また何回か読み返しています。
仏道修行に関する説示ですが、もう少しご紹介しておきたいと思います。
今の一当は、百不当のちからなり。百不当の一老なり。聞教・修道・得証、みなかくのごとし。きのふの説心説性は百不当なりといへども、きのふの説心説性百不当、たちまちに今日の一当なり。行仏道の初心のとき、未練にして通達せざればとて、仏道をすてて余道をへて仏道をうることなし。仏道修行の始終に達せざるともがら、この通塞の道理なることをあきらめがたし。
私自身への励ましの言葉として、あらためて道元禅師様に学び直している今日です。
(野地板の張り替えた個所)