4月2日(日)曇り【桜そして坂口安吾】
今日のご法事は、某出版社でご活躍なさっていた方のお家であった。
私が尼僧だからであろうか、瀬戸内寂聴さんの小説に対しての意見を求められた。瀬戸内さんが晴美であった頃の小説を数編読んだことはあるが、私には瀬戸内さんが描くような私小説は、小説家自身の不倫を正当化するように思え、その相手の家族の辛さを思うとあまり面白いとは思えなかった。文学としての評価は私には分からない。
小説に行き詰まったから出家したんでしょうかな、とその方は言われた。私には分からない。私自身の出家の理由にしてから、いくつかの要因が重なり合っている。いずれにしても出家なさってからの寂聴さんによって、多くの迷える人々が癒されているということがある。それは小説家であった瀬戸内さんの魅力と重なっていることもあるだろう。文学者としての評価はさておいても、女流文学者として華やかな一時期を送った人である。あの和服の似合った姿と、今の尼僧の姿がオーバーラップして、尼僧である瀬戸内氏を一際際だたせているように感じる。
今日あたりは桜が丁度見頃の季節。桜と言えば坂口安吾の『桜の森の満開の下』を思い出す。桜から自然と安吾の話になった。編集部員として駆け出しのころ、安吾によくお酒を飲ませて貰ったそうである。羨ましい話だ。私は、大学時代、数人の友人で安吾会なるものを作っていたことがある。安吾に傾倒していた一時期があった。今でも本屋の店頭に安吾特集が出ていたりすると、思わず買ってしまう。
戦後の文壇において、坂口安吾は太宰治と並んで無頼派の代表的作家である。(一概に同じ無頼派とはいえないが)安吾の「文学のふるさと」に次のような一文がある。「モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ文学の建設的なもの、モラルとか、社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。」これは戦前に書かれたものである。『桜の森の満開の下』はこの文学論通りの作品といえよう。これは昭和22年に発表された。
この内容については、短い作品であるから興味のある方はご一読を。満開の桜の木の下には死体が埋まっていて、満開の桜は、人間をして狂気に誘う妖気に満ちたものとして描かれている。山に住む盗賊が、都から妻にしようとして美しい女をさらってくる。ところが支配者と思っていた盗賊が、逆にこの女に命じられて、次々に殺人を犯していくことになる。そしてついに、盗賊は女を殺さなければならないことに気づくのである。
この作品は安吾の代表作である。人をして不思議な世界に引きずり込み、安穏としていることを許さない厳しさがある。桜といえば美しいとする既成の概念をズシンと殴りつけられる。その上で、やはり桜は美しいことを否定できない世界にひきずりこまれるのである。安吾の言うところの文学の〈ふるさと〉を少し理解できるような気がする。が、今の私にはこれ以上文学について、考える力がない。しかし無頼の定義は、私なりにしておかねばならないだろう。
既成の秩序やモラルのように、自由を束縛している一切の観念や行為を突き破ること、というのはどうだろう。その結果、無法なことに、自らを敢えて投げ出すことになるのではないか。自らをまず無にして、そこから構築し直し、束縛を解き放とうとする姿勢は、仏道修行と通じるものがあるようにさえ思える。安吾の言葉の中に無頼の説明を見いだせると良いのだが、すっかり安吾の文学からも遠ざかっているので、すぐには見いだせない。どなたかのお教えを頂ければ有り難い。
安吾には、お金がなくても若い人を引き連れて、お酒を奢るだろうということをイメージできるが、太宰にはそれがない。果たして今日の法事の施主であるこの家の主人公も、よく飲みに連れて行ってもらったそうである。私は森敦や白洲正子などは好きな作家・随筆家だが、それを言うと、「本物だろうな、安吾は本物の作家のことを、ほんもの、と言ったものだよ」と教えて下さった。「本物」とは嬉しい言葉であるが、安吾が「本物」と折り紙をつけた作家はどんな作家であったのだろうか。
本物と言えば、安吾こそは本物の無頼の作家であったろう。「このごろは作家も皆、良い家に住んで、昔のような作家はいなくなりましたな。」とその家の主人公は感慨深げに言われた。安吾が生きたころの作家たちが書いた日記や、私小説などを読むと、貧乏は作家の代名詞のようで、貧乏文士という表現は作家の称号のようなものだったろう。たしかにこのごろの作家さんたちには優雅なイメージと、社会にうまく迎合している観がある。無頼に生きようとする作家も少ないだろうし、無頼な作家たちの生きられる余地が、現代の文学界には無いのかもしれない。このような見方は果たして私の無知であろうか。
文学界に拘わらず、社会に無頼の者が生きられる領域は少なくなっているだろう。安居ほどの徹底さは無論言えないにしても。それでどうなのだということになるが、私本人には到底生きられない世界なので、偉そうなことは言えない。安吾は「人間は堕ちぬくためには弱すぎる」と『堕落論』の中で言っているが、私などはその典型である。ほどよく生きるしかない。
あまり長居もできないのでお暇をしたが、本当に久しぶりに文学の話を聞かせてもらえたので、嬉しかった。出家してからは特に、周りに文学を語る人はいない。この法事の帰りの途で、満開の桜並木の下を通った。歩道を歩くのとは違い、桜並木のアーチの真下を走り抜けていくのが、なんともいえず心地好かった。そして薄墨色の空が、こんなにも満開の桜にふさわしいものだと、はじめて気がついたのだった。
しかし今夜の雨で散ってしまうかもしれない。桜はなんと人の心を騒がせるのだろう。
*文学の世界のことを臆面もなく書きまして、ご容赦。
*『桜の森の満開の下』の安吾のイメージはソメイヨシノであろう。ソメイヨシノは江戸の末期ごろ染井村(今の豊島区駒込あたり)で発見されたという。いつ頃から存在した品種かは分からないが、そう古いものではないようである。エドヒガンとオオシマザクラの交配種といわれる。
*禅門で花といえば梅を指す。
*落語界に「無頼派」と名乗る会が、古今亭志ん輔師匠たちで創られている。はたしてどんな無頼なのか。▲無骨派の間違いでした。
今日のご法事は、某出版社でご活躍なさっていた方のお家であった。
私が尼僧だからであろうか、瀬戸内寂聴さんの小説に対しての意見を求められた。瀬戸内さんが晴美であった頃の小説を数編読んだことはあるが、私には瀬戸内さんが描くような私小説は、小説家自身の不倫を正当化するように思え、その相手の家族の辛さを思うとあまり面白いとは思えなかった。文学としての評価は私には分からない。
小説に行き詰まったから出家したんでしょうかな、とその方は言われた。私には分からない。私自身の出家の理由にしてから、いくつかの要因が重なり合っている。いずれにしても出家なさってからの寂聴さんによって、多くの迷える人々が癒されているということがある。それは小説家であった瀬戸内さんの魅力と重なっていることもあるだろう。文学者としての評価はさておいても、女流文学者として華やかな一時期を送った人である。あの和服の似合った姿と、今の尼僧の姿がオーバーラップして、尼僧である瀬戸内氏を一際際だたせているように感じる。
今日あたりは桜が丁度見頃の季節。桜と言えば坂口安吾の『桜の森の満開の下』を思い出す。桜から自然と安吾の話になった。編集部員として駆け出しのころ、安吾によくお酒を飲ませて貰ったそうである。羨ましい話だ。私は、大学時代、数人の友人で安吾会なるものを作っていたことがある。安吾に傾倒していた一時期があった。今でも本屋の店頭に安吾特集が出ていたりすると、思わず買ってしまう。
戦後の文壇において、坂口安吾は太宰治と並んで無頼派の代表的作家である。(一概に同じ無頼派とはいえないが)安吾の「文学のふるさと」に次のような一文がある。「モラルがないこと、突き放すこと、私はこれを文学の否定的な態度だとは思いません。むしろ文学の建設的なもの、モラルとか、社会性というようなものは、この「ふるさと」の上に立たなければならないものだと思うものです。」これは戦前に書かれたものである。『桜の森の満開の下』はこの文学論通りの作品といえよう。これは昭和22年に発表された。
この内容については、短い作品であるから興味のある方はご一読を。満開の桜の木の下には死体が埋まっていて、満開の桜は、人間をして狂気に誘う妖気に満ちたものとして描かれている。山に住む盗賊が、都から妻にしようとして美しい女をさらってくる。ところが支配者と思っていた盗賊が、逆にこの女に命じられて、次々に殺人を犯していくことになる。そしてついに、盗賊は女を殺さなければならないことに気づくのである。
この作品は安吾の代表作である。人をして不思議な世界に引きずり込み、安穏としていることを許さない厳しさがある。桜といえば美しいとする既成の概念をズシンと殴りつけられる。その上で、やはり桜は美しいことを否定できない世界にひきずりこまれるのである。安吾の言うところの文学の〈ふるさと〉を少し理解できるような気がする。が、今の私にはこれ以上文学について、考える力がない。しかし無頼の定義は、私なりにしておかねばならないだろう。
既成の秩序やモラルのように、自由を束縛している一切の観念や行為を突き破ること、というのはどうだろう。その結果、無法なことに、自らを敢えて投げ出すことになるのではないか。自らをまず無にして、そこから構築し直し、束縛を解き放とうとする姿勢は、仏道修行と通じるものがあるようにさえ思える。安吾の言葉の中に無頼の説明を見いだせると良いのだが、すっかり安吾の文学からも遠ざかっているので、すぐには見いだせない。どなたかのお教えを頂ければ有り難い。
安吾には、お金がなくても若い人を引き連れて、お酒を奢るだろうということをイメージできるが、太宰にはそれがない。果たして今日の法事の施主であるこの家の主人公も、よく飲みに連れて行ってもらったそうである。私は森敦や白洲正子などは好きな作家・随筆家だが、それを言うと、「本物だろうな、安吾は本物の作家のことを、ほんもの、と言ったものだよ」と教えて下さった。「本物」とは嬉しい言葉であるが、安吾が「本物」と折り紙をつけた作家はどんな作家であったのだろうか。
本物と言えば、安吾こそは本物の無頼の作家であったろう。「このごろは作家も皆、良い家に住んで、昔のような作家はいなくなりましたな。」とその家の主人公は感慨深げに言われた。安吾が生きたころの作家たちが書いた日記や、私小説などを読むと、貧乏は作家の代名詞のようで、貧乏文士という表現は作家の称号のようなものだったろう。たしかにこのごろの作家さんたちには優雅なイメージと、社会にうまく迎合している観がある。無頼に生きようとする作家も少ないだろうし、無頼な作家たちの生きられる余地が、現代の文学界には無いのかもしれない。このような見方は果たして私の無知であろうか。
文学界に拘わらず、社会に無頼の者が生きられる領域は少なくなっているだろう。安居ほどの徹底さは無論言えないにしても。それでどうなのだということになるが、私本人には到底生きられない世界なので、偉そうなことは言えない。安吾は「人間は堕ちぬくためには弱すぎる」と『堕落論』の中で言っているが、私などはその典型である。ほどよく生きるしかない。
あまり長居もできないのでお暇をしたが、本当に久しぶりに文学の話を聞かせてもらえたので、嬉しかった。出家してからは特に、周りに文学を語る人はいない。この法事の帰りの途で、満開の桜並木の下を通った。歩道を歩くのとは違い、桜並木のアーチの真下を走り抜けていくのが、なんともいえず心地好かった。そして薄墨色の空が、こんなにも満開の桜にふさわしいものだと、はじめて気がついたのだった。
しかし今夜の雨で散ってしまうかもしれない。桜はなんと人の心を騒がせるのだろう。
*文学の世界のことを臆面もなく書きまして、ご容赦。
*『桜の森の満開の下』の安吾のイメージはソメイヨシノであろう。ソメイヨシノは江戸の末期ごろ染井村(今の豊島区駒込あたり)で発見されたという。いつ頃から存在した品種かは分からないが、そう古いものではないようである。エドヒガンとオオシマザクラの交配種といわれる。
*禅門で花といえば梅を指す。
*落語界に「無頼派」と名乗る会が、古今亭志ん輔師匠たちで創られている。はたしてどんな無頼なのか。▲無骨派の間違いでした。
坂口安吾の話をありがとうございます。
このようなお話=オーラルヒストリーは非常に重要なことであり、まさに面授されなくてはならない部分でありますね。拙僧としても、坂口安吾が「ほんもの」といった作家がどのような人なのか気になるところです。
また、拙僧、手元に新潮文庫の『堕落論』がありますが、その冒頭には「今後の寺院生活に対する私考」という、本当に短い一文が掲げられていますが、あの文章に示されている、坂口安吾の問題意識については、拙僧未だそこまで及んでいないと自戒しつつ、ブログをやってるようなところございます。
安吾が説く「禁欲」について、とかく禅宗の僧侶は問われているように思います。
さて、話は変わりますが、去年ちょっと桜に関するログを書いてみました。TBいたしますが、おじゃまであれば削除してください。合掌。
このコメントを開ける前にソメイヨシノの説明と無頼についての説明を付け加えました。安吾の無頼の姿勢は仏道修行にも似ていると書き加えたところです。
貴師のブログはやはりコピーをしてから読ませて頂きます。
コメントとTB誠に有り難うございました。
今度の日曜頃が一番の見頃になりそうです。
坂口安吾→堕落論→寺院生活とくれば、文学論とは言え人ごとではなくなりますね(汗)
自分が禅を学ばないときには分からないことでした。「今後の寺院生活に対する私考」は僅か一頁の一文ですが、出家前は気にもし無い一文でした。示唆に富んだ一頁です。
坂口安吾に惹かれてこちらのブログにやってきました。桜の季節になると思い出す作家のひとりであります。
「人間は堕ちぬくためには弱すぎる」
堕ちぬくのには確固たる強さが必要なのですね。
仏道と文学という取り合わせがとても新鮮で興味深く感じました。
お邪魔いたしました。
小説をこの頃読む時間があまりありません。多くの名作を読まずして人生を終わるのではなかろうか、それは真に惜しいことだと真剣に思っています。