風月庵だより

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風樹の歎き

2006-05-08 21:14:59 | Weblog
5月8日(月)曇りのち雨【風樹の歎き】

まだ風邪が治りきらないようであるが、寝てばかりもいられないので、たまたま目の前にあった『あなたと健康』という小冊子を手にした。二頁程めくったところで、私の目はその頁の一文に釘付けになってしまった。なんと昨日見失ってしまった言葉がそこにあったのである。

昨日、諸橋の『大漢和辞典』に書き留めておきたい言葉を見つけたのだが、うっかり閉じてしまって分からなくなってしまった。それも悲しいかな何という言葉であったかも思い出せない。他の言葉の意味を探していて、たまたま出逢った言葉、良い言葉だったのだが、はて何であったか、なんとしても思い出せない。

あーあ、忘れっぽくなったものよ、と我が記憶力の低下を嘆いていたのが、昨日のこと。その失った言葉があったのである。『あなたと健康』三月号に。常岡一郎先生の文章の中にありました。

「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」
「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず」

 
子が親に孝養を尽くしたいと思うときには、親ははやこの世にはなく、その思いを果たすことはできない、樹が静かにしていようとしても風が吹き止まない。思い通りにはいかない嘆きである。この言葉は『韓詩外伝』(漢代に韓嬰が伝えたもの)のなかにある。「風樹」といえば、父母に孝養を尽くせない喩えとされる。

中唐の詩人、白居易(香山居士772~846)はこの言葉をもととして「風樹の歎」「風木の悲」をその詩に詠んだ。白居易の詩集が手元にないので、『大漢和』の引用文をあげておきたい。

庶使孝子心皆無風樹悲。    「贈友詩」友に贈る詩 
 [訓読]庶(こいねがわ)くは孝子の心、皆風樹の悲、無からしめんことを                  

斯可以載揚蘭陔之光、輟風樹之歎耳。   「柳公綽父子、温贈尚書右僕射文」
[訓読]斯(すなわ)ち、蘭陔の光を載揚するを以て、風樹の歎きを輟(やめ)るべきのみ。    * 蘭陔:孝子が親を養うこと

            *訳については前後の文が分からないので、訓読のみ。

「親孝行したいときには親は無し」
「樹欲静而風不止。子欲養而親不待也。」この言葉を見て昨日は心に感じるものがあったのである。再びこの言葉にたまたま出会えて本当に良かったと思ったので、ご紹介しました。

父にはなんの孝養も尽くさないうちに去られてしまいました。母はお陰様で存命です。まだ間に合います。皆さんはいかがですか。「風樹」の方には、この一文がお辛いかもしれませんが、お許しを。

*常岡一郎師:明治2年(1899)福岡県に生まれる。慶応大学在学中結核に倒れ、以来15年間闘病生活を送る。その間、求道の生活に目覚め、病を克服する。その後中心社を創設。社会福祉に貢献する。昭和25年(1950)51歳の時、参議院議員に当選。以後12年間国政に携わる。

風邪で寝込んで

2006-05-06 16:27:52 | Weblog
5月6日(土)晴れ【風邪で寝込んで】

せっかくのG.Wなのに風邪を引いて寝込んでしまった。今まで毎年一度は風邪を引き込んで一週間から十日ほど寝込むので、風邪は私の持病というほどである。去年引っ越すまでは私の部屋は北向きで、冬になると窓の周りに目張りをしなくては、寒くて耐えられなかったほどであった。それが、新しい風月庵に引っ越してからは東向きなので、冬もさほど寒くなく、今年の冬は風邪を引かないで済んだかと思っていた矢先に風邪を引いてしまった。

昨日のこどもの日には何かブログに書きたいと思ったが、全く気力がでなかった。私はどちらかと言えば虚弱体質で、風が吹けば飛ぶような体格でもある。よく還暦の年まで生きてこられたものであると感心してしまうほどである。父祖伝来の財産には恵まれなかったが、それでも大病を患うことはなく、いくつかの波を越えながらも生きてこられたことは、有り難いことであると、つくづく寝ながら思っていた。

今倒れたなら頼れるところは何処にもない。母と私の生活は路頭に迷ってしまうであろう。この生活を支えるには私が健康で働けるということが、条件なのである。私に限らずほとんどの人がそうであると思うが。しかし僅か二日間寝込んだだけでも、心細く辛いものである。ただ風邪には度々のつき合いがあるので、そのうち良くなることが分かっているので、弱り切らないですんでいる。

長い病に寝込んでいる人たちは、本当にどれほど辛いことかと想像した。水俣病で苦しむ人々のことに思いを馳せれば、ただ涙が溢れるばかりである。長患いの辛さを同じに体験的に想像することは不可能だ。想像を絶する苦悩であろうから。それに比して、僅か風邪で寝込むぐらいで、ほどよく健康に恵まれているのに、自分はあまり社会のお役にも立たずに生きていて申し訳がないほどである。

なんとか人様のお邪魔にならないように静かに生きていくばかりだ。お許しを願いたい。

教育を考える・少し脇の話-法務大臣を斬る

2006-05-03 16:00:10 | Weblog
5月3日(水)晴れ【教育を考える・少し脇の話-法務大臣を斬る】

小坂文部科学大臣がトリノオリンピックで金メダルを獲得した荒川静香選手に、強敵スルツカヤ選手がフリーの競技で転倒したことについて「こけたときは喜んだ」と言ったという。多くの人が小坂氏の文部大臣としての資質に疑問を持ったのは、つい最近の話である。

それがまたも一国の大臣としてあるまじき発言が、法務大臣にあった。杉浦正健という名の大臣である。何を言ったか、呆れてしまってなんと言って良いのか分からない。

ライブドア事件で起訴されて、保釈された前社長堀江貴文被告について「元気そうだ。若いし裁判をきちっとやって(ほしい)。あの姿を見たら再起してもらえるのではないかという印象を受けた」と言っていたが、考え無しの発言としか言いようがない。(この発言は28日の閣議後の記者会見でのこと)

堀江氏の犯したことは、人々を騙して巨額のお金を巻き上げたことである。彼が手にしている富は汗水流して働いて得たものではない。汗水流して働いた人たちから騙し取ったものである。昭和の初めだったか、東京帝大の学生があくどい金貸しをして、一時は巨万の富を得たが、悲惨な最期を遂げたことは、知る人は知る事件である。堀江氏がしたことはそれ以上の悪徳ではあるまいか。

このままぬくぬくと彼が、社会的制裁も受けずに許されてしまったならば、儲けさえすれば悪いことをやっても良いのだという風潮を、ますます助長することになるだろう。若者たちが真面目に働くことを、馬鹿馬鹿しいと思うようになってしまうだろう。

法務大臣ともあろう者がなんでこのような愚かしい発言をするのであろうか。もしかしたら同じ大学ではなかろうか、と思ったら、案の定、銀杏マークであった。社会は銀杏マークをあまりに特別視する傾向がある。ホリエモンをカッコイイと受け入れた一つの理由に銀杏マークの出身(中退ではあるが)ということがあるのではないかと推察する。

銀杏マークに合格する学力と人格は、全く別のことである。勿論人格的に素晴らしい人もたくさんいる。私の出た高校も、五十人のクラスメートのうち三十五人が銀杏マークに合格した。中学から上京したので、たまたまそんな進学校に入学したが、学力と人格とは別問題であることはよく知っている。(私は別のマークなので、説得力に欠けるかもしれないが)

勉強ができることはたいしたことではない。ホリエモンのように狡いことに優秀な頭脳を使う人間も多いのだということを、しっかりと社会は見なくてならない。そして法務大臣でありながら、何が問題であるのか見抜くこともできず、的はずれなコメントを社会に向かって、平気で発しているような愚かしい大臣も、銀杏マークの出身であるということを見なくてはならない。

生き急いだと言っているホリエモン氏が死に急がないためには、人々から巻き上げた富を社会に戻すしか道はあるまい。その位のコメントを法務大臣にしてもらいたいものである。

若者たちのみならず、情報社会の子供たちが、狡いほうが得をするなどということを、この事件から学ぶような結果にならないことを祈るばかりである。

教育を考えるその2-可愛い子に親殺しをさせないために

2006-05-01 23:55:03 | Weblog
5月1日(月)晴れ暑し【教育を考えるその2-可愛い子に親殺しをさせないために】

その1において「教育に関しての私論」などと題打ったが、いきがりすぎているような題なので、上記のように変えた。子どもを育てていない私が教育について語るのも、おこがましいのであるが、子どもが親を殺そうなどいう事件を見過ごすことはできない。そんなことをしでかすような子どもにしないためには、どうしたらよいか、みんなで智恵をだしあって考えてはどうかと思うからである。

今日は劇薬タリウムを母親に飲ませた少女(17)が、医療少年院に送致された。はじめ少女は母親に毒を飲ませたことを否定していたようであるが、父親に説得されて自供したそうである。母親(48)はまだ意識を回復していないようだ。

なぜ、なぜ、胎児のときから育ててくれた母親に毒を飲ませることなどできたのであろうか。はじめタリウムの効果を知りたかったというが、その後発覚を恐れて殺害しようとして更にタリウムを飲ませたという。少女は進学校としても優秀な県立の高校生であったという。少女がいじめにあったことなどが、少女の歪んだ性格を形成したのではないかともいわれるが、そればかりであろうか。少女が幼児からどのように育てられたか、その成育歴というものを是非、社会として知りたいものである。

藤原智美氏の『なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか』の中に、非常に示唆に富んだ事例が紹介されている。それを要約してみる。「第4章「親心」が子どもの力を奪うという悲劇」〈燃えつきる子どもたち〉の箇所に書かれている。

或る少女、仮にRとする。Rはなんと0歳児から幼児教育をうけさせられ、英会話やピアノ、バレエなど、ほとんど毎日教室がよい。五歳にして小学校で学ぶ漢字と英会話さえ、ある程度できるようになったそうである。小学校は国立大付嘱、中学は難関中の難関校に進むが、高校に入ってから、ついに、精神に変調をきたすようになった。妹の首を絞めたり、大暴れをするようになってしまうのである。

精神病院に入れられたのであるが、医師や親に悪態をつく言葉の暴力はすさまじいものである。医師に対しては省略するが、母親に対しての言葉は、考えさせられるので、そのまま引用してみる。

「無力な子どもを自分の『人工生命みたいにしやがって、その人工生命が壊れたら、さっさと精神病院に送り込みやがって。その『反省』とやらを地獄の底に下りても続けなけれりゃいけないのは、この壊れた人工生命を産み、そして育てたアンタ(母親)だよ。」(『なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか』123頁)

Rは自らを人工生命と表現している。Rはけっきょく自殺してしまったそうである。医師は原因をつきとめられなかったそうであるが、0歳から知識を詰め込まれて、神経が壊れてしまったのではなかろうか。医師は「燃えつきた」としか考えられない、と言っているそうである。

0歳から無理矢理知識を詰め込まれては、脳の自然な発達が狂わされるのではなかろうか。
芸術的なことは多少幼いうちからでもよいかもしれないが、日本ではお稽古事は6歳6ヶ月からと言われているのである。先人の知恵だと思う。あまり早すぎては、幼児の心身の発達にとって、ストレスが強すぎるのではなかろうか。

少女Rの実例は、タリウム事件の少女の成育歴に照らしていかがであろう。母親に毒を盛るなどという事件がなぜ起きたのか。人権についての配慮を十分にした上でではあるが、少女の成育歴をある程度、社会に公表していただけると、社会に対してのなんらかの警鐘を鳴らすことができるのではなかろうか。

タリウム事件がRの事例と、似ているところはあるのか分からないが、知識の詰め込みは子どもには敵である。とくに幼児にとって。とにかく小学生ぐらいは遊ぶことが、仕事にも等しいことだとの認識が大事である。私も小学校時代はほとんど勉強した記憶がない。石蹴りやゴムダン遊び、薪採りや芹積み等等、いくらでも身体を動かして野山を駆け回って遊ぶことがあった。親に「勉強しなさい」などと一度も言われたことはない。私たちが子どもの頃、田舎ではあまりそのような言葉を聞いたことがない幸運な時代であった。

それでも、遊んでばかりでもない。授業はよく聞いていた。それからそろばん塾だけは通った。日曜を除く毎日、小学校4年と5年の二年間通い続けた。村の子どもたちはほとんどこのそろばん塾に通っていた。一年間も通えば、珠算の三級はほとんどの子どもが合格した。二級からは暗算が加わるが、これがまた脳によい刺激になったのではなかろうか。

百ます計算やドリルとは多少効果は違うかもしれないが、毎日頭にそろばんを浮かべて暗算で乗除加減の訓練をさせてもらったことは、脳の訓練としてよかったと感謝している。教えてくれた先生は大熊先生という人であった。今でもそのお顔を思い出すことができるほどだ。

今はN堂DSとかいうゲーム機で、頭の体操ができるソフトがあるそうだが、大人には良いかもしれないが、子どもには向かないと思う。子どもは自分の手で鉛筆を持ってじっくりと考えられる方法が最適であると考える。

少女Rほどに詰め込む必要はないが、小学生のうちから頭の回転の訓練はしておくことはよいかもしれない。単に成績の為ばかりではない。頭の回転運動は実生活でも役立つのではなかろうか。単に知識を詰め込むこととはおおいに相異がある。

子どもが可愛いと思う親は、知識を詰め込ませすぎて、子どもの頭を狂わさないようにしよう。壊さないようにしよう。

柳沢桂子さんの本に、チンパンジーやゴリラのような類人猿からヒトに進化するものがでてくるのは五百万年前、現在の私たちと同じ種に属するヒトがこの地球上に生まれてから約二十万年と紹介されてあったが、気の遠くなるほどの昔から引き継がれている命を考えたなら、子どもに無理矢理勉強させようなどという考えは馬鹿馬鹿しくなりはしないだろうか。可愛い子に、知識を無理矢理詰め込むような、味のない子育ては断じてやめよう!遠い過去から遠い未来、遠くを見つめてみよう。