60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

ブログ

2009年05月29日 09時11分19秒 | Weblog
このブログを書き始めてから今月末でちょうど1年になる。(昨年10月以前は別のURLコード)
毎週2回、火曜日と金曜日に書くことにし、とりあえず1年間は続けてみることを誓った。
毎日毎日次は何を書こう?次は何を書こう?と常にアップする日が気にかかっていた。
「今回は何も書くテーマがない」そんな事で悩む日々、書くことは自分に課せたノルマでもある。
なぜブログでそれほどまでしなければいけないのかということだが、そうするには動機があった。
それはあるテレビ番組を見たことに影響されている。

NHKテレビのプロフェッショナルという番組で、カーデザイナー奥山清行の番組を見たときである。
彼はゼネラルモーターズ、ポルシェと渡り歩き、世界の名だたる名車のデザインを手がけてきた。
現在はイタリアの名門デザインスタジオ、ピニンファリーナ社に籍を置いている。
世界中のメーカーから新車のデザインの依頼が殺到する「世界最高峰」のもの作りの現場だ。
奥山はそこで、デザイン部門の最高責任者・デザインディレクターをつとめる。
彼がその番組の中で自分の仕事のスタンスとして、言っていたことの中に思い当たることがあった。
それはデザインだけではなく、ほとんどのことは「思いつくまで待つ」「思いついたらやる」ではなく。
自分で「思いつくようにする」ということであると。そのために自分にノルマを課しているそうである。
具体的に彼は週に100のデザインアイデアを自分のノートに書き出すということをノルマにしている。
そのため、デザインアイデアのことが頭から離れることがない。毎日毎日何十というアイデアを考える。
毎日毎日アウトプットし続けるとアイデアが枯渇するかのように思われるが、それは全く反対である。
アウトプットするからインプットがある。アイデアを出し続ければ自然にアイデアを思いつくようになる。
そんな話をしていたように思った。
その時「そうなのだろう」と思った。何事も上達するには訓練が必要、訓練なくして上達はないと。

デザインとブログとを比べるべくもないが、書き始めるからには自分の中に向上心をもちたかった。
不特定多数の人に見てもらえる環境の中で、人が読んで興味を持ってもらうものが書きたかった。
文章を書くことは嫌いではないが、慣れていないこともあり、どちらかと言えば不器用な方である。
それで書き続けることで、少しでも文章力を上げたいと思った。そのために自分にノルマを課せた。
「書ける時に書く」でなく、毎週2回で1年間、計100編の日記を必ず書く。そう決めたのである。
会社のパソコンを使うから、土日には書けない。仕事の合間を縫って、ブログの原案を書いていく。
火曜にアップすればもう次の金曜には何を書こうと考える。金曜にアップすれば来週の火曜日は、
来る日も来る日もブログのことが頭から離れない。会社の仕事が疎かになることもしばしばである。
それでもノルマだからと続けてみる。そして、とうとう1年が経過した。

はたしてこの一年間書き続けたことでどれだけ上達したのかは自分ではわからない。
ただ自分が感じることは意外と長い文章が書けるようになったということである。たぶん最初に書いて
いた時より倍の長さになっていると思う。それだけ書くという行為に慣れてきたのであろうと思う。
自分の「思い」を「文章表現」につなげる道があるとすれば、その道の幅が少し広がった気がする。
また、始めから「こう書こう」と決めないで書き始めても、キーボードを打つうちに自分の体の中から
ジワジワと文章がにじみ出してくるようにもなった。このあたりが1年間続けたことの成果であろうか。
さあこれからどうしよう。やはり今のペースで続けていくのは負担が重いように思う。
デザイナーのように仕事であればそれも必要なのであろうが、ブログはあくまでも余暇である。

以前、朝日カルチャーセンターの小説教室に通っていた。それは自分の生きてきた証になるような、
自分の文章を書いてみたいという思いが有ったからである。しかし小説教室は付いていけなかった。
しかしその書きたいという思いは自分の中では消えてはおらず、あきらめられないテーマでもある。
ブログを続けることで、自分のことを客観視できるようになれば、やがて書けるかもしれない。
今はその為にも文章を書くという行為は続けていきたいと思っている。
今ブログには毎週約200名の訪問者がある。基本的に知らない人たちであるから読まねばならぬ
義務も義理もない。だからこの方たちの訪問頻度が自分の文章に対する評価だろうと思っている。
自分が納得いく文章が書け、多くの人達に読んでもらえるように、これからも書いてみようと思う。

私にとって「ブログ」を続けることは文章力のアップが一つだが、もう一つ自分がメッセージを発信し、
それを毎回誰かが受け取ってくれているという実感が持てるということにもあるように思える。
それは言い替えれば「誰かと接している」「自分は確実に今を生きている」ということを感じられること
なのかもしれない。mixiが支持される要因はここにあるのであろう。mixiのように仲間との直接的な
やり取りは義務感が発生し、そのうち億劫になって続かないであろう。
自分で決めたペースで、自分なりに黙々と書いていく、私にはその方が似合っているように思う。
そのあたりが「歳」なのであろうか。
これからは頻度を減らし(週一金曜日)、もう少し自分の内面的なことを打ち出し、文章の表現
描写を考えながら書いてみたいと思っている。