60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

水彩画教室

2011年11月11日 08時21分33秒 | 美術
11月から水彩画教室に通うことにした。毎月第一と第三金曜日で、PM6:45から2時間である。
受講料と諸費用で6320円/月、1回当り3160円である。お酒を飲むことを考えれば良しとしよう。
絵心もなく、中学生以来絵筆を持ったこともないが、絵を習うことは前々から考えていたことである。
それは10数年前NHKラジオの深夜番組で、ある老齢の女流作家が言っていたことに端を発する。
その内容は、 《今からは老齢社会になる。子供は離れ、連れ合いとも死別し、何時一人になるか
分らない。その時になって慌てても遅い。定年を迎える前に、「一人でも生きて行ける」という準備と
心構えが必要がある。》と言うものであった。心構えは5つあったと思うが、今は3つしか記憶にない。
1、自分のことは自分で出来るようにしておく、2、プライベートなネットワークを出来るだけ作っておく、
3、自己表現の手段を持つ、である。

今まで会社や家族の中で職務を分担し、チームとしての生活が成り立っていた。人間関係もそれを
基盤にして広がって行ったわけである。そして、自分達が携わってきた仕事や子育てなどを通して、
日々自己表現をしていたわけである。「この仕事は俺がやった。すごいだろう」、「私の子育ては・・」、
これも自己表現である。しかし子供が離れていき、リタイヤして仕事が無くなってしまうと、今まで、
当たり前にあった人間関係のネットワークも、仕事や家族での自己主張の場も、手段も失ってしまう。
仕事を離れ死ぬまで楽しく暮らしていくためには、今までに代わるものを身に付けておく必要がある。
これが作家の提言であった。この話を聞いてから、1と2は、ある程度は心がけて来たつもりである。
しかし、無趣味で通して来た私にとって、3が最も難しいことであった。

7年程前、カルチャーセンターの「小説教室」へ通ったことがある。これも自己表現の手段と思った
からであるが、しかし、わずか9ヶ月で挫折してしまった。むかし、母が「短歌」をやっていて、私に
「俳句を勉強してみたら、」と言っていた。しかし新聞などに投稿されている俳句を読んでも、ピンと
来るものがなかった。陶芸や彫刻も考えたが、少し大げさで、長く続けるには、それ相当の覚悟が
いるように思ってしまう。結局、一番取り組み安く、手軽にやれるのは、「絵」と言う結論に至った。
絵はスケッチブックと鉛筆があれば、見たままを描けばよい。努力次第で、多少上手にもなるだろし
楽しめるかもしれない、そう考えたのである。しかし私には絵の素養は全くない。だから長く続けて
いくことを前提にすれば、我流でやるより、基礎だけは習っていた方が良いだろうと思ったのである。
しかしこの歳になっての習い事は億劫で、なかなか踏ん切りがつかず、延ばし延ばしになっていた。
「もう時間がない。まだ少し稼ぎのあるうちに習っておかなければ・・」、そう思って重い腰を上げた。

先月、教室を見学に行ってみた。先生は多摩美術大学出身の40前後の女性である。生徒さんは
全て女性で、多い日で4~5人だそうである。キャリアも長い人で5年、短い人で1年程。雰囲気は
女性ばかりだからか、雑談が多いようにも思うが、しかし年齢もバラバラで和気あいあいとしている。
少ない人数だから先生はそれぞれに合わせて指導する。別に水彩画でなくても油彩でもパステル
でも自分の好みで良いということである。「会社の帰りに習いに行くとすればココしかない」、そんな
ことでその場で入会手続きをした。帰りに先生から、最初はデッサンから始めるからスケッチブック、
HB、2、4、6Bの鉛筆、練り消しゴムを持参するようにと言われた。

当日10分前に教室に行くと先生だけで誰も来ていない。挨拶も早々に早速デッサンに取り掛かる。
先生は私のスケッチブックをキャンバスに置き、自分のバックからリンゴを取り出しテーブルに置く。
「今日はこのリンゴを描いてみましょう」、「物体を表現するには光と影を考えなければいけません」、
「球体を描くことが基本になります」と言いながら、自分の描いたスケッチを手本にし説明してくれる。
それから実際に絵を描く段階に進む。鉛筆の持ち方から始まり、鉛筆の使い分け、濃淡の付け方、
ティッシュを使って色の馴染ませ方、消しゴムの使い方、光と影の関係、テーブルに映る陰の処理、
空気遠近法(手前を濃く、後ろを薄く)、私の描く合い間合い間に近づいて来て実地で教えてくれる。

他の生徒さんも順次教室に入って来て、大きなテーブルの思い思いの場所に座る。そして持参して
きた自分の作品の続きを始めた。先生はそれぞれの作品を見てアドバイスしたり、質問を受けたり、
基本的には生徒のペースに添っての指導のようである。私は初回であり、周りは全て女性でもあり、
緊張の中で描いていた。最初はリンゴ1個、次はリンゴを横にして、次はリンゴを2個と描いていく。
久しぶりの緊張と集中の2時間、あっと言う間に過ぎていった。下がその時に描いたスケッチである。

               

               

               

               

初日を終えて思ったことがある。
思い切って習いに来たことは、「正解」だったのだろう。通信教育やTVや本を見ながらの勉強では、
自分の絵が基本に添っているかどうか認識しずらい。だから常に不安があるのではないだろうか?
結局自分のやっていることに自信が持てず、一人よがりになってしまって、長続きしないように思う。
教室に通い、先生に教わっているという「確かさ」、自分の作品に対する「客観的な評価」があれば、
やがては自分の自信にもつながっていくように思うのである。
さて、自分の中に絵に対するセンスがあるのか? 自分が絵を描いて見て、今度は美術館などで
絵を見たとき、多少でも違った風に見えてくるのか?、そんなことも楽しみになるように思えて来た。