先週からプロ野球で使用するボールを「飛ぶボール」に変更したことが問題になっている。発端は日本野球機構が2年前から採用した統一球を、今季からひそかに「飛ぶボール」に変更していたことを認めたことに始まる。その後、加藤良三コミッショナーが記者会見で、「私は事務局からボールに変更が加えられるという説明は受けなかった。私が(変更を)知ったのは昨日。もし私がその事実を知っていれば、公表していただろうし、私は不祥事を起こしたとは思っていない」と発言した。テレビに映る加藤コミッショナーはふんぞり返り、終始ふて腐れた表情で会見していたように見えた。「あの不遜な態度では反感をまねくだろう」、そう感じていたら、案の定コミッショナーの責任問題で喧々諤々の騒動になってきた。
何が問題なのか?、最も重大なのは選手や世間に対して、なんら公表せづにボールを変えたことである。次にそのことを最高責任者であるコミッショナーが知らなかった、と発言したことであろう。飛ぶボールの方が良いのか否かは、考え方によって違って来る。だからボールを変更することを議論し公表していれば良かった。しかしそれを黙ってやったことに問題があるのである。その後、これでは「まずい!」と思ったのか、コミッショナーが再び記者会見し、「私は不祥事だとは思っていないが、ガバナンス(管理、支配、統治)が強くあるのは当然。プロ野球・NPB(日本野球機構)の信頼性を落とさないよう、今後組織を強化したい」、そして第三者委員会を発足させてこの問題を調査する。という内容で当座を収めようとしている。
私はこの問題は関わった関係者の「自己保身」が、もろに出たきた為にこじれてしまったように思う。最初に事務局長は、「昨年の夏にボールの変更をコミッショナーに相談して決めた」と記者団に漏らし、責任はコミッショナーにもあるとした。しかし今度は記者会見でコミッショナーは「私は聞いていない」、と言い張った。そしてその後真相を何も語らず、うやむやにしようとしているように見えるのである。真実は本人たちは知っている。そして「これはまずい!」という認識も関係者はみな持っている。だからこそ真っ先に「自分には落ち度はなかった」と責任回避し、自己保身を図ったのである。コミッショナーは日本野球機構の最高責任者である。その責任者が責任回避してしまえば納まりようがなくなる。組織としての不祥事を説明するとき、個人的な保身を優先させたことが、問題を複雑にしていくことになった。
加藤コミッショナーという人は東京大学を卒業後、長らく日本の外交官として活躍した。退任後、三菱商事の特別顧問を勤め、2008年からプロ野球コミッショナーに就任した輝かしい経歴の人のようである。だから我々庶民と違って、生活防衛的な意味合いからの自己保身ではなく、輝ける名誉に傷がつかないようにという、自己保身なのかも知れない。サラリーマン社会(組織社会)では大きい小さいは別にして、この手の問題は日常茶飯事にある。私企業であれば往々にして上位者がごり押しし、下位者が泣き寝入りで終わってしまうことが多い。しかしプロ野球の場合はそうはいかない。パブリックな組織だから、当然世間の納得いく説明が求められるのである。
私は飛ぶ飛ばないのボールのことより、この一件を「どう終結させるのか?」に興味が向く。組織の誰かを犠牲にし、処分して事を済ましてしまうのか?、それとも真相をあやふやにしたまま、コミッショナーの管理責任という形で辞任するのか?、どちらにしても真実は藪の中で、作られたシナリオで決着が図られるのではないかと思っている。それはなぜか?、以下のように考えるからである。
コミッショナーの加藤氏は大の野球ファンでアメリカ大使館時代大リーグに親しんでいた。そんなことからコミッショナーに着任したのを期に日本で統一球を提案した人で、ボールに自分のサインを刻印までさせている。その人が「飛ぶボール」を秘密裏に変更するわけが無い。ではコミッショナーに報告せずに下位者が勝手にボールを変更できるだろうか?、それは自分の立場を危なくするだけで、サラリーマンに何のメリットも無い。だからそんなことをやるわけも無い。ではなぜ行われたのか?、そこにコミッショナーより権力を持ち、横暴な振る舞いが多い読売巨人軍の「ナベツネ」の影が見えてくる。元々渡辺会長は、「日本だけの野球だったら、何もあんな統一球にする必要ないんじゃないか。フェンス間際でみんなホームランにならないでアウト。これで観客数が減ってんだよ」、「野球はホームランが出て空中戦のほうが面白いんだよ」、と言って憚らない人であった。
そんな「ナベツネ」がプロ野球機構に横槍を入れ、ボールの変更をさせるだろうことは想像に難くない。コミッショナーは自分の発案の統一球を元に戻すことには、プライドが許さないだろうから難色を示すだろう。しかしナベツネは自分の考えをごり押しする。結局は板ばさみになった機構の幹部が公表もせず、やむなく変更することにした。これが真相ではないかと思うのである。そしてこれが真実だとすれば、いずれ週刊誌などで暴露されるとになる。しかしその時、ナベツネの言い分は決まっている。「私は私の意見を提案したまでで、私は実行する権限を持ち合わせていない」と。コミッショナーは「私は承認をしたことはない」と言い張るであろう。そして勝手にやったとされる幹部が処分を受けて撒く引きとなる。これが世の中の不条理なルールなのである。
社会に関わっている以上、好むと好まざるとに関わらず、利権や権力や面子争いの中に巻き込まれていく。そんな時、自己保身に汲々としていればその弱点を突かれて不利な立場に追い込まれていく。ではどうすれば良いか。組織にとって何が正しいのかを見極め、それが周りから疎んじられようが、上位者に逆らうことになろうが、勇気を持って自己主張すべきなのであろう。諺にある、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」でははないが、それが結果的に一番の保身になるように思うのである。そしてその結果どうあろうが、自分を偽らなかったという満足感が残るように思うのである。
何が問題なのか?、最も重大なのは選手や世間に対して、なんら公表せづにボールを変えたことである。次にそのことを最高責任者であるコミッショナーが知らなかった、と発言したことであろう。飛ぶボールの方が良いのか否かは、考え方によって違って来る。だからボールを変更することを議論し公表していれば良かった。しかしそれを黙ってやったことに問題があるのである。その後、これでは「まずい!」と思ったのか、コミッショナーが再び記者会見し、「私は不祥事だとは思っていないが、ガバナンス(管理、支配、統治)が強くあるのは当然。プロ野球・NPB(日本野球機構)の信頼性を落とさないよう、今後組織を強化したい」、そして第三者委員会を発足させてこの問題を調査する。という内容で当座を収めようとしている。
私はこの問題は関わった関係者の「自己保身」が、もろに出たきた為にこじれてしまったように思う。最初に事務局長は、「昨年の夏にボールの変更をコミッショナーに相談して決めた」と記者団に漏らし、責任はコミッショナーにもあるとした。しかし今度は記者会見でコミッショナーは「私は聞いていない」、と言い張った。そしてその後真相を何も語らず、うやむやにしようとしているように見えるのである。真実は本人たちは知っている。そして「これはまずい!」という認識も関係者はみな持っている。だからこそ真っ先に「自分には落ち度はなかった」と責任回避し、自己保身を図ったのである。コミッショナーは日本野球機構の最高責任者である。その責任者が責任回避してしまえば納まりようがなくなる。組織としての不祥事を説明するとき、個人的な保身を優先させたことが、問題を複雑にしていくことになった。
加藤コミッショナーという人は東京大学を卒業後、長らく日本の外交官として活躍した。退任後、三菱商事の特別顧問を勤め、2008年からプロ野球コミッショナーに就任した輝かしい経歴の人のようである。だから我々庶民と違って、生活防衛的な意味合いからの自己保身ではなく、輝ける名誉に傷がつかないようにという、自己保身なのかも知れない。サラリーマン社会(組織社会)では大きい小さいは別にして、この手の問題は日常茶飯事にある。私企業であれば往々にして上位者がごり押しし、下位者が泣き寝入りで終わってしまうことが多い。しかしプロ野球の場合はそうはいかない。パブリックな組織だから、当然世間の納得いく説明が求められるのである。
私は飛ぶ飛ばないのボールのことより、この一件を「どう終結させるのか?」に興味が向く。組織の誰かを犠牲にし、処分して事を済ましてしまうのか?、それとも真相をあやふやにしたまま、コミッショナーの管理責任という形で辞任するのか?、どちらにしても真実は藪の中で、作られたシナリオで決着が図られるのではないかと思っている。それはなぜか?、以下のように考えるからである。
コミッショナーの加藤氏は大の野球ファンでアメリカ大使館時代大リーグに親しんでいた。そんなことからコミッショナーに着任したのを期に日本で統一球を提案した人で、ボールに自分のサインを刻印までさせている。その人が「飛ぶボール」を秘密裏に変更するわけが無い。ではコミッショナーに報告せずに下位者が勝手にボールを変更できるだろうか?、それは自分の立場を危なくするだけで、サラリーマンに何のメリットも無い。だからそんなことをやるわけも無い。ではなぜ行われたのか?、そこにコミッショナーより権力を持ち、横暴な振る舞いが多い読売巨人軍の「ナベツネ」の影が見えてくる。元々渡辺会長は、「日本だけの野球だったら、何もあんな統一球にする必要ないんじゃないか。フェンス間際でみんなホームランにならないでアウト。これで観客数が減ってんだよ」、「野球はホームランが出て空中戦のほうが面白いんだよ」、と言って憚らない人であった。
そんな「ナベツネ」がプロ野球機構に横槍を入れ、ボールの変更をさせるだろうことは想像に難くない。コミッショナーは自分の発案の統一球を元に戻すことには、プライドが許さないだろうから難色を示すだろう。しかしナベツネは自分の考えをごり押しする。結局は板ばさみになった機構の幹部が公表もせず、やむなく変更することにした。これが真相ではないかと思うのである。そしてこれが真実だとすれば、いずれ週刊誌などで暴露されるとになる。しかしその時、ナベツネの言い分は決まっている。「私は私の意見を提案したまでで、私は実行する権限を持ち合わせていない」と。コミッショナーは「私は承認をしたことはない」と言い張るであろう。そして勝手にやったとされる幹部が処分を受けて撒く引きとなる。これが世の中の不条理なルールなのである。
社会に関わっている以上、好むと好まざるとに関わらず、利権や権力や面子争いの中に巻き込まれていく。そんな時、自己保身に汲々としていればその弱点を突かれて不利な立場に追い込まれていく。ではどうすれば良いか。組織にとって何が正しいのかを見極め、それが周りから疎んじられようが、上位者に逆らうことになろうが、勇気を持って自己主張すべきなのであろう。諺にある、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」でははないが、それが結果的に一番の保身になるように思うのである。そしてその結果どうあろうが、自分を偽らなかったという満足感が残るように思うのである。