60歳からの眼差し

人生の最終章へ、見る物聞くもの、今何を感じるのか綴って見ようと思う。

夏の散歩

2016年08月05日 08時31分12秒 | 散歩(6)

 平年より1週間遅く、7月28日に梅雨が明けた。梅雨明け後の最初の日曜日、久々に定番の散歩コースを歩くことにする。四季折々の変化を感じることが出来る田園地帯のコースである。

 ギラギラと露光100%の真夏の道を歩いていると、必ずと言っていいほど子供の頃の海水浴場に行くときを思い出す。終戦後の物のない時代、遊びに行く時はどこに行くのも歩きである。夏休みに山陰の海水浴場にも2時間以上かけて歩いて行っていた。あるときは母親が付き添って、あるときは兄弟同士で、炎天下の中、街を抜け畑を抜けトボトボと歩いて行く。やがて松林になり、磯の匂いがし、足を捕られながら砂地を歩くと波の音が聞こえてくる。前は見渡す限りの海と空、さえぎるものが無いから音も反射してこない。海水浴場ではしゃぐ子供の歓声と波の音とが混じって、遠くで耳鳴りのように聞こえる。そんな光景である。
 
 我々の子供時代は車も無いから歩くことが当たり前であった。だから夏になれば全員が真っ黒になる。今なら紫外線の害や熱中症から、日中の外出にも注意報が出されるほどである。しかし当時はそんな知識も無いしクーラーも無いから、「夏は元気に外で遊べ!」と、親も子供を外に放り出す。それでも熱中症(当時は日射病)で大勢の人が倒れたと言うニュースなど聞いたことがない。たぶん今の時代はリスクを避け、用心する生活が当たり前になったから、人もドンドン華奢になっていくのだろう。
 
 そんな子供時代が有ったからか、私は今でも真夏に歩くことに抵抗はない。帽子も被らず炎天下の道を歩くと、だらだらと汗をかく。水を飲みまた汗をかく。そんなことを繰り返すと自分の中の代謝が加速され、体に溜まった不純物が出て行くように感じる。普段より疲れは早いが、歩き終わった後は爽快感がある。だから冬の寒さの中を体を縮めて歩くより、夏を歩く方が好きである。
 
    
 
      団地の中の遊歩道が途切れ、右の陸橋を渡ると保護林の地区に入る
 
    
 
             近くにトトロの森1号地がある
 
    
 
    
 
    
 
    
 
                林を抜けると農業地区に入る
 
    
 
                   藤森稲荷神社
 
    
 
                   昔ながらの農家
 
    
 
           
 
            アジサイが終わり植物も夏から秋の装いに
 
          
 
                      柿
 
          
 
                     ザクロ
 
          
 
                      ミカン
 
          
 
                       栗
 
    
 
               このあたりは裕福な農家が多い
 
    
 
    
 
                  完全に夏の雲である
 
    
 
               やはり夏はヒマワリが似合う
 
          
 
                  蜂が無心に蜜を吸う
 
    
  
             こういう風景を観るとトトロの世界を感じる
 
    
 
    
 
    
 
    
 
       このあたりは小手指ヶ原と呼ばれ、広々とした農地が広がっている
 
    
 
                   木陰が気持ち良い
 
    
 
    
 
                    サツマイモの畑
 
    
 
    
 
    
 
                    お茶畑
 
    
 
                 今から何を植えるのか?
 
    
 
              農家の庭には色とりどりの夏の花
 
          
 
            
 
                     ミニトマト
 
    
 
                       椿
 
          
 
                      椿の実
 
    
 
    
 
                     小手指駅