
一人で仕事をやっていると、苦手な営業も自分でやらざるを得ない。普段は電話とFAXとメールで
何とか業務はこなしているが、ときには相手方に出向いて、商談しなければいけないこともある。
企画提案、商品紹介、商品や資材の値上げのお願い、クレームの事情説明や、お詫び等である。
年々同世代の人達がリタイアしていくため、商談相手のほとんどは年下になり、話題にこと欠き、
益々商談が億劫になる。私は営業経験が無いため、一般的な営業スタンスは身についていない。
したがって営業スタイルは何の愛想もない我流である。一般に営業は「お客様は神様」的な意識が
あり、買う方が優位で、売る方が下位という認識が強いように思う。しかし私は「商売は対等」という
思いが強く、営業先だからと言って特に腰を低くすることもないし、接待もしない。盆暮れの挨拶も
行かないし、ましてやつけ届けもしたことはない。商売はそこに必然性があるから成立するわけで、
普通にコミュニュケーションできれば、営業だからと言ってとくにへりくだることも、卑屈になることも
無いと思っている。従って必然性の無い処に無理やり商売を成立させようとは思わないのである。
営業とは「必然性」を作り上げていくこと、そう思っている。まあ独立して15年間、そういうスタイル
でも何とかなってきた。だから、私の認識もあながち間違ってはいないように思う。
企業にとっては相手先に売り込み、物事を調整したりする営業の役割は大きいものがある。そんな
営業のスタイルも、時代の変遷とともに大きく変わって来たように思う。さてどのように変わったのか?
以前、昔から良く知っている食品メーカーの営業部長(当時55歳ぐらい?)がこんな話をしてくれた。
部下の若い営業が、ある大手スーパーに売り込み、相手も乗り気で商売が成立するかもしれないと、
報告をしてきた。「ここは一発、俺の出番」そう思い、次の商談に若い営業と同行して商談に臨んだ。
相手は30代のバイヤー、私が話す内に、いかにも胡散臭いものでも見るような視線になってきた。
自分が出しゃばったのがマズかったのか、結局はその商談は不成立に終わってしまったそうである。
「彼には悪いことをした。若い奴には若い奴の手法があるのだろう」、そんな風に反省したそうである。
そんな話から、その部長と「昭和の営業」と「平成の営業」という話で盛り上がったことがあった。
我々の時代は、まさしく昭和である。右肩上がりの経済成長の中で、スーパーやコンビニの成長に
合わせ、それにくっ付いていれば、連れて成長していくような時代であった。そのためにメーカーの
営業マンは、とりあえず相手と取引し、継続させることが任務であった。そのためには如何に相手に
「取り入るか」が勝負だったように思う。相手の気分を害さないように気を使い、おべっかを言って
相手を持ち上げ機嫌を取る。飲食で接待し、お車代と称し金を出し、盆暮れのつけ届けは怠らず、
重要な相手であれば、ゴルフや海外旅行まで接待していた。湯水のごとく接待交際費を使っても、
そこに商売が成立すれば、メーカーもそれはそれで潤っていた時代である。営業も営業の特権の
ように、個人目的で営業費をごまかしながら使っていた。そんな(良き??)時代だったように思う。
しかしバブルが弾け、成長が止ってから様相が変わってくる。売り上げが伸びなくなった販売側は
粗利のアップを要求してくる。当然、価格交渉が激しくなり、慣れ合いの商売は難しくなってきた。
そして商売もそれなりの節度を持つようになり、接待の自粛や禁止令を出す企業も多くなっている。
メーカー側も営業経費は抑え気味になり、営業には提案型の営業スタイルを求めていくようになる。
「昭和の営業」と「平成の営業」、その境界ラインは50歳前後なのではないだろうか、先ほど書いた
食品メーカーの営業部長は完璧な昭和の営業である。彼は酒は飲めないが、ゴルフが得意である。
重要な得意先とは頻繁に接待ゴルフをやることが、彼の営業手法であった。多分30代のその若い
バイヤーにも、「どうですか、一緒にゴルフにでも行きませんか?」、そんなことでも言ったのだろう。
今の若い人にそんな誘い方をすれば、警戒心が先に立って、胡散臭く思われるのは当然であろう。
彼のゴルフを使って「相手に取り入る」という戦法は、使う相手によってマイナスになったのである。
では「平成の営業」とはどんなスタイルなのであろう。
最近の若い営業は概して小ざっぱりした感じがする。昔の営業は「他に使い道が無いから営業でも」
という感じで、会社でもどちらかと言えば灰汁(アク)が強く、むさくるしい社員が多かったように思う。
しかし今のように売れない時代は、企業は営業部門へはそれなりの人材を投入する。だからなのか
身なりも物腰も言葉づかいも洗練された感じがする。しかし全体に昔ほどの灰汁の強さは無くなった。
若い営業は自社の商品は熟知し、こちらの質問にも的確に応えてくれる。そしてマーケットの状況や
情報もそれなりに把握している。それから、目的があれば来るが、昔の営業のように用事も無いのに
頻繁に会社に顔をだす営業は少なくなった。昔は人間臭くてドロドロとした取引関係が多かったが、
それに比べ、今はスマートだが、一面淡白で希薄な関係のようにも思もわれる。
昭和の営業の「相手に取り入る」という戦略に対して、平成の営業の戦略は何があるのだろうか?
多分それは「相手の信頼を得る」と言うことではないかと思う。経済成長が止まり物がみな売れなく
なった時、幾ら安い条件で買ったとしても、それが売れなければ双方に何のメリットももたらさない。
今のような閉塞感の強い時代に、もう自分だけの力ではそれを突破することは難しくなってきている。
だから売る方も買う方も、自分の仕事をこなすためには、協力者(パートナー)が必要になってきた。
気楽に何でも相談でき、違う目線での意見や的確なアドバイスをしてくれる相手が必要なのである。
その相手は誰でも良いわけではない。そこにはお互いが信頼関係で結ばれている必要である。
私が営業マンに期待することは、自分の取り扱い商品の知識は必要不可欠であるが、それ以上に
「自分の世界」を持っていることである。その「世界」は何でもよい。野球でもサッカーでも剣道でも、
釣りでも山登りでも何でも良い。(ただしTVで見ての知識ではなく、自分でやってみた経験が必要)
はたまた鉄キチでもディズニーオタクでも良いのである。そのことを自分の経験にもとずいて、1時間
でも2時間でも語る人の話は実に面白いのである。あることを追求しようとした時、そこに自分なりの
真理を見出すのかもしれない。そのことが他の人と違う発想になったり、見識だったりするように思う。
「この人と話したい」「この人に聞いて見たい」「この人だったらどんな意見を持つのだろう?」、そんな
ことが今は必要とされている。目先の仕事以外で、相手の世界を垣間見ることができる。お互いが
そんな部分を認めあえたら、そこに信頼感が芽生え双方が協力し合うだろう。今の時代おべっかを
言ってもらい、自尊心をくすぐって欲しい人は少ないと思う。そんな相手はうっとおしいだけである。
「営業スタイル」、それは人により時代により様々なようだ。親会社では営業に「頭は何時も低くしろ」
「用事が無くても近所に来ましたからと顔をだせ」、「初対面の人はその日の内にお礼の葉書を書け」
「大切なお客様は玄関までお見送りをして、深々と頭を下げろ」、「相手の身になって物事を考えろ」
「クレームも言い方一つで大事に至らないんだ」、などと教えている。しかしそんなことは若い人には
ちっとも理解されないようである。「お客様は神様」と思ってもいない営業、反対に「理不尽な相手」と
思ってさえいる相手のことを、そう思えと強要することに無理がある。今からの時代お仕着せの営業
ではなく、自分(自分の意見や見識)を持った営業マンが望まれるように思うのである。
何とか業務はこなしているが、ときには相手方に出向いて、商談しなければいけないこともある。
企画提案、商品紹介、商品や資材の値上げのお願い、クレームの事情説明や、お詫び等である。
年々同世代の人達がリタイアしていくため、商談相手のほとんどは年下になり、話題にこと欠き、
益々商談が億劫になる。私は営業経験が無いため、一般的な営業スタンスは身についていない。
したがって営業スタイルは何の愛想もない我流である。一般に営業は「お客様は神様」的な意識が
あり、買う方が優位で、売る方が下位という認識が強いように思う。しかし私は「商売は対等」という
思いが強く、営業先だからと言って特に腰を低くすることもないし、接待もしない。盆暮れの挨拶も
行かないし、ましてやつけ届けもしたことはない。商売はそこに必然性があるから成立するわけで、
普通にコミュニュケーションできれば、営業だからと言ってとくにへりくだることも、卑屈になることも
無いと思っている。従って必然性の無い処に無理やり商売を成立させようとは思わないのである。
営業とは「必然性」を作り上げていくこと、そう思っている。まあ独立して15年間、そういうスタイル
でも何とかなってきた。だから、私の認識もあながち間違ってはいないように思う。
企業にとっては相手先に売り込み、物事を調整したりする営業の役割は大きいものがある。そんな
営業のスタイルも、時代の変遷とともに大きく変わって来たように思う。さてどのように変わったのか?
以前、昔から良く知っている食品メーカーの営業部長(当時55歳ぐらい?)がこんな話をしてくれた。
部下の若い営業が、ある大手スーパーに売り込み、相手も乗り気で商売が成立するかもしれないと、
報告をしてきた。「ここは一発、俺の出番」そう思い、次の商談に若い営業と同行して商談に臨んだ。
相手は30代のバイヤー、私が話す内に、いかにも胡散臭いものでも見るような視線になってきた。
自分が出しゃばったのがマズかったのか、結局はその商談は不成立に終わってしまったそうである。
「彼には悪いことをした。若い奴には若い奴の手法があるのだろう」、そんな風に反省したそうである。
そんな話から、その部長と「昭和の営業」と「平成の営業」という話で盛り上がったことがあった。
我々の時代は、まさしく昭和である。右肩上がりの経済成長の中で、スーパーやコンビニの成長に
合わせ、それにくっ付いていれば、連れて成長していくような時代であった。そのためにメーカーの
営業マンは、とりあえず相手と取引し、継続させることが任務であった。そのためには如何に相手に
「取り入るか」が勝負だったように思う。相手の気分を害さないように気を使い、おべっかを言って
相手を持ち上げ機嫌を取る。飲食で接待し、お車代と称し金を出し、盆暮れのつけ届けは怠らず、
重要な相手であれば、ゴルフや海外旅行まで接待していた。湯水のごとく接待交際費を使っても、
そこに商売が成立すれば、メーカーもそれはそれで潤っていた時代である。営業も営業の特権の
ように、個人目的で営業費をごまかしながら使っていた。そんな(良き??)時代だったように思う。
しかしバブルが弾け、成長が止ってから様相が変わってくる。売り上げが伸びなくなった販売側は
粗利のアップを要求してくる。当然、価格交渉が激しくなり、慣れ合いの商売は難しくなってきた。
そして商売もそれなりの節度を持つようになり、接待の自粛や禁止令を出す企業も多くなっている。
メーカー側も営業経費は抑え気味になり、営業には提案型の営業スタイルを求めていくようになる。
「昭和の営業」と「平成の営業」、その境界ラインは50歳前後なのではないだろうか、先ほど書いた
食品メーカーの営業部長は完璧な昭和の営業である。彼は酒は飲めないが、ゴルフが得意である。
重要な得意先とは頻繁に接待ゴルフをやることが、彼の営業手法であった。多分30代のその若い
バイヤーにも、「どうですか、一緒にゴルフにでも行きませんか?」、そんなことでも言ったのだろう。
今の若い人にそんな誘い方をすれば、警戒心が先に立って、胡散臭く思われるのは当然であろう。
彼のゴルフを使って「相手に取り入る」という戦法は、使う相手によってマイナスになったのである。
では「平成の営業」とはどんなスタイルなのであろう。
最近の若い営業は概して小ざっぱりした感じがする。昔の営業は「他に使い道が無いから営業でも」
という感じで、会社でもどちらかと言えば灰汁(アク)が強く、むさくるしい社員が多かったように思う。
しかし今のように売れない時代は、企業は営業部門へはそれなりの人材を投入する。だからなのか
身なりも物腰も言葉づかいも洗練された感じがする。しかし全体に昔ほどの灰汁の強さは無くなった。
若い営業は自社の商品は熟知し、こちらの質問にも的確に応えてくれる。そしてマーケットの状況や
情報もそれなりに把握している。それから、目的があれば来るが、昔の営業のように用事も無いのに
頻繁に会社に顔をだす営業は少なくなった。昔は人間臭くてドロドロとした取引関係が多かったが、
それに比べ、今はスマートだが、一面淡白で希薄な関係のようにも思もわれる。
昭和の営業の「相手に取り入る」という戦略に対して、平成の営業の戦略は何があるのだろうか?
多分それは「相手の信頼を得る」と言うことではないかと思う。経済成長が止まり物がみな売れなく
なった時、幾ら安い条件で買ったとしても、それが売れなければ双方に何のメリットももたらさない。
今のような閉塞感の強い時代に、もう自分だけの力ではそれを突破することは難しくなってきている。
だから売る方も買う方も、自分の仕事をこなすためには、協力者(パートナー)が必要になってきた。
気楽に何でも相談でき、違う目線での意見や的確なアドバイスをしてくれる相手が必要なのである。
その相手は誰でも良いわけではない。そこにはお互いが信頼関係で結ばれている必要である。
私が営業マンに期待することは、自分の取り扱い商品の知識は必要不可欠であるが、それ以上に
「自分の世界」を持っていることである。その「世界」は何でもよい。野球でもサッカーでも剣道でも、
釣りでも山登りでも何でも良い。(ただしTVで見ての知識ではなく、自分でやってみた経験が必要)
はたまた鉄キチでもディズニーオタクでも良いのである。そのことを自分の経験にもとずいて、1時間
でも2時間でも語る人の話は実に面白いのである。あることを追求しようとした時、そこに自分なりの
真理を見出すのかもしれない。そのことが他の人と違う発想になったり、見識だったりするように思う。
「この人と話したい」「この人に聞いて見たい」「この人だったらどんな意見を持つのだろう?」、そんな
ことが今は必要とされている。目先の仕事以外で、相手の世界を垣間見ることができる。お互いが
そんな部分を認めあえたら、そこに信頼感が芽生え双方が協力し合うだろう。今の時代おべっかを
言ってもらい、自尊心をくすぐって欲しい人は少ないと思う。そんな相手はうっとおしいだけである。
「営業スタイル」、それは人により時代により様々なようだ。親会社では営業に「頭は何時も低くしろ」
「用事が無くても近所に来ましたからと顔をだせ」、「初対面の人はその日の内にお礼の葉書を書け」
「大切なお客様は玄関までお見送りをして、深々と頭を下げろ」、「相手の身になって物事を考えろ」
「クレームも言い方一つで大事に至らないんだ」、などと教えている。しかしそんなことは若い人には
ちっとも理解されないようである。「お客様は神様」と思ってもいない営業、反対に「理不尽な相手」と
思ってさえいる相手のことを、そう思えと強要することに無理がある。今からの時代お仕着せの営業
ではなく、自分(自分の意見や見識)を持った営業マンが望まれるように思うのである。
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