先日、朝日新聞日曜版の読者相談コーナー「悩みのるつぼ」を読んでいたら、ある女性からこんな相談が寄せられていた。それは「働かない同じ職場の男性が不愉快」というもので、下記の如くです。
・・・「今年度から私と向き合う席の配置となった男性は、仕事は与えられても席を頻繁に立ち、頬杖をついてパソコン画面を見てだるそうにしているだけです。・・・・正直このような人と毎日顔を合わせるのは不愉快でなりません。仕事をしないのなら帰ってほしいです。どのような心持でいればいいでしょうか。」という事が書かれていました。
どこの職場でも如何にもある、ある、と頷きそうな内容ですね。こんな苦々しい経験誰にもあるんじゃないでしょうか。これに対して回答者である作家の清田隆之さんは、下記のように答えておりました。
「ケースは違えど私も似た思いを抱えた経験があり激しく共感しながら相談文を読みました。・・・・適当な落としどころとしては同志を見つけて愚痴り合い、適当にガス抜けしながら自分のやるべき事に集中していくという感じになるかと思いますが、排除や差別に走らないギリギリのバランスの中で妥協点を模索する力は人間関係における重要なスキルであり、民主主義の本質ともいうべき経験になっていると私は考えます。・・・
こうして真摯に悩んだ時間は必ずや相談者さんの財産になるはず。この苦しい状況が速やかに改善される事を願いつつ、その事だけでもお伝え出来たら幸いです。」清田先生も随分苦慮して書かれたようですが、何となく煮え切らない回答のような気がします。
ところで話変わって、生きもの界の中でも働き者として知られる「アリさん」ですが、こんな学説があるそうです。「集団で暮らす働きアリの中には、一定の割合で怠け者のアリが存在する。そしてこの怠け者アリを排除しても、働きアリの中から一定数の怠け者が出現する」という内容です。
意外な事に、この怠け者アリたちにも大事な役割があるそうなのです。怠け者を無くした方が集団として仕事が効率的にはかどると一見思いますが、実は一定数の怠け者が居た方が、かえって効率的な集団になるというのです。
と言うのも、働き者ばかりだと、皆が働き過ぎてだんだん疲労困憊し集団全体の活力が失われてしまうそうなんです。つまり怠け者アリは、働きアリ達を働かせ過ぎないようにセーブさせ、集団の健全な継続に貢献しているという訳です。
これは案外、人間界にも通ずる事じゃないでしょうか。考えてもみてください。職場の全員が「24時間戦います」というような闘志溢れる企業戦士ばかりだったら、普通の人はとてもじゃないが追いて行けず、そのうち鬱病を発症か過労死してしまうでしょう。
つまり怠け者の人は職場の働き過ぎを抑制し、職場の健全な継続に貢献しているという訳です。そして仕事で辛い時や苦しい時も、「アイツに比べりゃまだマシだ」と、弱音の吐きどころにもなってくれます。怠け者の人だって、本当は周囲の厳しい視線を感じて、辛い思いをしているんじゃないでしょか。
てっきり役立たずのクズだと思ってた彼(女)らにも、そんな役割があったのかと思えば、もう少し寛大な気持ちで怠け者の人と接する事ができるのではと思います。・・・・というのが私の個人的回答なんですが、清田先生の回答に比べていかがでしょうか。
・・「怠け者、居なけりゃ困る事もある」・・