5月26日(日) 天気=晴れ時々曇り
05:43二口登山口駐車場→ 06:13護人清水→ 07:13中間地点→ 08:06~13大岳分岐→ 08:29青雲岳→ 08:43~09:10守門岳→ 09:18~21青雲岳→ 09:32大岳分岐→ 10:03~07大岳→ 10:53キビタキ避難小屋→ 11:12~19保久礼小屋→ 11:38車道出合→ 11:55二口登山口駐車場
守門岳は遠い昭和の時代に、山岳会の会山行で大勢の仲間と一緒に登った。最近山菜採りで魚沼市へ来た時、残雪を抱いてたおやかに天空を描く守門岳を望んだら、再び登ってみたいと強く望むようになった。
昨日の午後我が家を出発し、昨夜は魚沼市の「道の駅ゆのたに」で車中泊を過ごした。今朝方は早朝に出発し、朝6時前に二口コース登山口へ着いた。休日とあって駐車場には既に6~7台の車が停まっている。
二口コース登山口駐車場
準備を終えると橋を渡り登山ポストに計画書を投函して歩き始める。しばらく進むと登山口の標識が在りここから登山道は急登が続く。登り始めてすぐにトレラン姿男性二人に追い越された。抜かれるのは悔しいが、マア熊の追い払い役になってくれるから良しとしよう。
入山届の登山ポスト
登山口の標識(ここから急登が始まる)
出だしから息苦しくて、脚が重い。自分じゃまだ若いつもりでいるが、身体は後期高齢者なんだと悲観的な思いが浮かぶ。しかし最初の休憩で水分を補給しバナナを食べたら、元気が出てきた。
護人清水の水場
登山口から30分で護人清水の水場を通過、その後はだんだん緩やかな樹林の尾根道に変わる。護人清水から1時間で、中間地点に着く。二口コースでは、此処が唯一展望の効く場所だった。
ブナ林の気持ちの良い尾根道
中間地点(ここで展望が開く)
登山道から左手の沢に連瀑が見える
中間地点を過ぎると再び急登の道になり、残雪が見られるようになるとやがて大岳を展望できる地点に着き、そこが大岳分岐だった。女性二人組が分岐で休んでおり、聞くと保久礼小屋の方から来たそうで、「保久礼コースは今日が山開きなので、これから大勢の人が登って来ますよ」と言われた。
大岳分岐
大岳分岐から少し進むと、青雲岳から守門岳へ続く山波の展望が広がった。残雪と登山道が交互する道をしばらく登ると、広々とした青雲岳の山頂に着いた。目指す守門岳は、もう指呼の間に見えている。
分岐の先から青雲岳を望む
青雲岳山頂
山頂から守門岳方面
木道の道を緩やかに降り、緩やかなに登り返して行くと42年ぶりの守門岳(1537m)だった。山頂は360度の展望だが、春霞のような大気で遠くの山は見えないが、残雪を抱く浅草岳や越後三山などの山を望む事ができた。
守門岳山頂
山頂から浅草岳方面(左奥の山)
山頂から青雲岳(左)と大岳(右)
山頂にだんだん人が増えてきたので、30分ほどの滞在で山頂を後にする。大岳分岐までの戻り道は、絶え間無く登山者のグループとすれ違う。大岳分岐に着くと、大勢の登山者が大岳の方から登って来るのが見えた。
大岳分岐から大岳(雪渓に登山者が見える)
分岐から鞍部まではけっこう降り、鞍部から大岳までは急坂の一気登りで、暑さと飛ぶかう虫が煩くて辛い登りだったが、辿り着いた大岳(1423m)は広々とした気持ちの良い山頂で、大勢の人が思い思いに休憩をしていた。
大岳の登り
大岳山頂
大岳山頂の傍の雪渓
山頂から保久礼小屋への道は、尾根を直線的に降って行く。下山の道でも多くの登山者とすれ違った。中に山開き関係者らしき人が居て、「道の駅「とちお」で「山開き記念バッジが貰えるから、ぜひ立ち寄って下さい。」と声を掛けられた。
下山途中のキビタキ避難小屋(鍵がかかっていた)
保久礼コースは途中粘土質の滑り易い箇所もあったが、降るにつれ道が良くなり、大岳から約1時間で、保久礼小屋に着いた。小屋は2階建てのしっかりした造りで水場も在るが、小屋すぐ近くに駐車場&登山口があるので、ここを利用する人は殆ど居ないだろう。
保久礼小屋
保久礼から沢沿いの道を降って行くが、歩く人が少ないのか踏み跡が薄い。道を間違えたかもと不安に思いつつ降り、車道に出た時はホッとした。車道出合から緩い降りの車道を転がるように降り、午前中に二口コース登山口へ戻って来る事ができた。
踏み跡薄い沢沿いの道
車道出合
登山口駐車場には、数十台の車が隙間なく停まっている。車に乗るとJR只見線沿線の神湯温泉へと向かう。温泉のフロントでお金を払おうとしたら、「今日はフロの日なので550円で入浴できますよ。」と言われ得した気分だ。広々とした湯船にドップリ浸かって、山の汗と疲れを流した。
二口登山口駐車場へ戻って来た
42年ぶりの守門岳がこんなに賑わうとは予想外で、熊さんの不安は払拭されたが難易度の高い高尾山を登ったような気分だった。登り始めは調子が上がらず齢を感じたが、バナナを食べて元気になれたので、まだまだ山の現役でいられそうとチョッピリ自信も持てました。
昭和56年7月10日、守門岳登頂の写真(右端が私です)