monologue
夜明けに向けて
 




ビートルズのWhat's your favorite song by The Beatles? というキャンペーンでわたしが選んだ好きなビートルズの曲は
ラジオで初めて聴いたビートルズの曲「プリーズ・プリーズ・ミー」そして突然全米1位に上がってビックリした「I want to hold your hand」そして名曲「イエスタデイ」そしてビートルズフリークが集まれば演奏したくなる「I saw her standing there」などだった。選ぶのはむづかしい。
fumio


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ビートルズがツイッター上でWhat's your favorite song by The Beatles? というキャンペーンをしている。
ベスト100をランキングするために一人5曲選ぶというのでわたしも初期の曲を5曲選んだ。日本のラジオ番組の好きなビートルズの曲のカウントダウンでは「レット・イット・ビー」がよく1位になったが。世界的にはどうなのだろう。
fumio


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このところエリック・クラプトンとデレク&ドミノスの「レイラ」の練習をしているのだが、あの有名なリフを弾くとビートルズの「デイ・トリッパー」を思い出す。そしてマイケル・ジャクソンの「ビート・イット」のリフを思い出す。これらの名曲は「デイ・トリッパー」のリフに触発されて始まったような気がする。わたしは「デイ・トリッパー」を初めて聴いた時あんなリフを弾きながらよく歌が歌えるものだ、と感心した。いつかわたしもあのようなすばらしいリフを作って曲を作りたいと思う。
fumio

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わたしの通っている歯科クリニックの院長のブログにポール・マッカートニーのライブの模様があった。
院長は洋楽ファンでローリング・ストーンズのライブも見に行っている。よくチケットが手に入るものだ。ポールが歌うサムシングは感動的だったようだ。
fumio


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「How do you do it」という曲がある。ビートルズはこのHow do you do itでデビューすることになっていたが結局ジョンの作品「ラヴミードゥ」でデビューした。この曲はプロデューサーのジョージ・マーチンがGerry and the Pacemakersに与えてそのバージョンが英国NO1になった。わたしたち洋楽ファンにとってはジェリーとペースメーカーズといえばこの曲より「Don't Let the Sun Catch You Crying」や "Ferry Cross the Mersey" のジェリー・マースデンの名唱が有名。ビートルズがあの「How do you do it」でデビューしていたらあれほどの爆発的人気が出ただろうか。時代を変えるためにはこの曲では役不足だったのだろう。
fumio

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1962年の元旦、ジョン・レノン 、ポール・マッカートニー 、ジョージ・ハリスン 、ピート・ベストの4人の若者のバンドがリバプールからヴァンに乗って吹雪の中をロンドンのデッカレコードスタジオに午前11時からのオーデイション開始ぎりぎりに到着した。かれらは15曲演奏したがデッカレコードの新アーテイスト発掘部門担当者ディック・ロウ (Dick Rowe) は"guitar groups are on the way out" ギター・グループに将来性はない、と思ってこのバンドと契約を結ばなかった。デッカレコードがこの日のオーデションで選んだのは。トレメローズだった。ディック・ロウは自分が落としたリバプールから来た若者たちが世界を興奮の渦に巻き込むのをどんな気持ちで見守ったのだろう。トレメローズの名前は残念ながら現在あまり口にされることはない。
fumio

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息子とTHE BEATLES - A Hard Day's Night - 1964のジョージの間奏のギターの話をしていて
わたしがいくら練習しても弾けなかったというと息子は自分の友達は12弦ギターで簡単に弾いて見せてくれたという。12弦ギターならそれほどむづかしくないフレーズらしい。
そういえばジョージ・ハリソンはリッケンバッカーの12弦ギターを愛用していたことを思い出した。それでバーズは映画を見て12弦ギターを買って「ミスター・タンブリンマン」に使用してフォークロックブームを起こしたのだった。楽器の開発によっても時代は変わるのだ。
fumio

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最近ユーチューブをみるとビートルズのアルバムが全部アップロードされているのに驚く。
昔発売されると競って購入したレコードがユーチューブで聴けるようになった。ずいぶん時代が進んだ。
曲によってはマスタリングエンジニアの感覚で日本版とマスタリングが違うので音が違うものがある。「アイ・フィール・ファイン」のギターのリヴァーブが深かったり「エイトデイズウイーク」のイントロがフェィドインだったり違ったり色々な違いが楽しい。
fumio

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1962年、イギリス・リヴァプールのキャヴァーンクラブでのビートルズのリハーサルの様子を聴くと
I saw her standing there のイントロでジョンがハーモニカを吹いていた。まだキチンとできあがっていないようで元はこんなのだったのかという感慨がある。ジョンのコーラスのハモリのうまさには感心する。62年といえばわたしが中学校を卒業する頃でまだ洋楽を聴く環境になかった。テレビは一家に1台で家族団欒で見るものでひとりでラジオを聴くということもなかった。そんな時代だった。高校に入ってやっと家族と別の部屋で洋楽のカウントダウン番組を聴くことになる。その頃すでにビートルズはI saw her standing thereのようなロックの名曲を練り上げていたのだ。
fumio

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先日、1986年のフランシス・フォード・コッポラ監督作品『ペギー・スーの結婚』(Peggy Sue Got Married)をNHKBSでやっていた。
キャサリン・ターナー扮する中年女性ペギー・スーが気絶して1960年代の高校時代に戻るというドラマ。ジョン・レノンの憧れたロック歌手バデイ・ホリーのヒット曲「ペギー・スー」に触発されてできたような作品だったがニコラス・ケイジ演じる歌手志望の恋人チャーリーにペギー・スーが曲を作ったがチャーリーが「シー・ラヴズ・ユー・ヤー・ヤー・ヤー」のヤー・ヤー・ヤーの部分をウーウー・ウーに変えるといい、というのが面白かった。もし、あの時代にビートルズ以外のバンドが「シー・ラヴズ・ユー」を歌って出てくればあれほどヒットしただろうか。
fumio

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ビートルズ日本公演の放映された日、まず前座の模様が流された。EHエリック氏の司会で始まり当時の日本ミュージシャンが「ウェルカムソング」を歌い、ドリフターズもパフォーマンスを見せた。テレビにかじりついてビートルズの登場を待っていた日本中のファンたちはくすぐったいような気持ちでそのパフォーマンスを見守ったものだった。このビデオをユーチューブで見てあの時の気持ちを思い出した。初めて観る現代の人々はどんな感想を持つのだろうか。
fumio

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TBS系列に「時事放談」というテレビ番組がある。初期には評論家細川隆元氏と小汀利得氏が毎週日曜日早朝に政治をテーマに座談形式で討論する番組だった。小汀利得氏の鋭い舌鋒とそれを和らげようとする細川隆元氏のコンビがなんともいえず味があった。まだ高校生のわたしにはずいぶん頑固で怖そうな高齢者だった。人々は番組タイトルを「ジジィ放談」と呼んでいた。1966年その番組内で来日公演するザ・ビートルズを小汀利得氏が「ビートルズかペートルズかしらんが」と批判したのだった。それで武道の聖地日本武道館のロックバンドの使用が問題になったのだった。現在、ロックミュージシャンのライヴ公演の聖地となった日本武道館を会長であった正力松太郎氏や細川隆元氏と小汀利得氏たちはどんな気持ちで見ているのだろうか。ビートルズが端緒であったことを誇らしく思っているだろうか。
fumio

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1966年7月1日21時わたしはビートルズの日本武道館公演のテレビ放送を白黒テレビで見た。この公演は「ビートルズかペートルズか知らんが」と評論家が揶揄して批判したり、武道館という武道の聖地での公演に抗議して街宣車が出たり物々しい警戒態勢がとられて世間が騒然としていた。このヴィデオ録画はカラーでされていたそうだがわたしの記憶は白黒の映像なので今カラーで見るとすごく生々しく感じる。
fumio

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1963 年11月 4日 の王室バラエテイショウにおいてジョン・レノンが最後の曲「ツイストアンドシャウト」の前に言ったジョークが伝説になっている。
“ For our last number I'd like to ask your help: Will the people in the cheaper seats clap your hands? And the rest of you, if you'll just rattle your jewellery. ”

高校に入ったわたしは友達の影響でポピュラーミュージックに目覚め、ラジオを聴き始めた。「9500万人のポピュラーリクエスト」という番組の途中、司会の小島正雄が話題曲コーナーでビートルズというバンドの「プリーズプリーズミー」という曲をかけてかれらが王室主催の音楽演奏会で演奏した際、メンバーが「最後のナンバーでは皆さんの助けをお願いします。安い方の席の人は手拍子を、残りの皆さん方は宝石を揺り鳴らしてください」とジョークを言った、と紹介していたのを聴いてただわけもわからず感動した。それから半世紀経過して現在その時のライヴの映像をネットで見ることができる時代になった。今思えば、このジョークはわたしの人生の出発点だった。ビデオをアップロードしてくれた方に感謝、…。
fumio

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1965年 4月13日ビートルズは新曲「ヘルプ」のレコーデイングに臨んだ。
バックの演奏を繰り返し繰り返し録音し、ジョン・レノンは演奏のテープに合わせてヴォーカルを録音した。プロデューサー、ジョージ・マーチンのOKが出るまで咽喉がやぶれるほど歌いなおした。それで現在、わたしたちがテレビ東京の「なんでも鑑定団」のオープニングで聴くような「ヘルプ」が完成した。ミュージシャンを目指す現代の若者たちはこのようなレコーデイングセッションをネットで聴いて勉強できるので幸せ。
fumio

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