わたしたち一家はそれまで、わたしが運転するヴァンタイプの車で食料品などの買い物をしていたのだがわたしが首の骨を折って入院して今後そうもゆかなくなって妻は息子を自転車に乗せて食料品の買い物に出た。その帰りに多くの荷物の重さでバランスを失って倒れた。道に散乱したこわれた卵などを息子と拾い集めるむなしさ悔しさの中でわたしの車を廃車にして自分が運転して乗る車を買うことを決めた。
わたしは手術後、リハビリに集中した。朝から晩まで他の患者が疲れて休んでいる時もひたすら訓練をやり続けた。それは辛い作業だった。動かない肉体を動かそうとするのは柔道や役者の肉体的特訓のような動かせば動く肉体訓練のはるか向こうにある苦しさであった。それまでそんなことはまったく知らなかった、リハビリの先生が「これまでリハビリをしてきてあなたのような熱心な患者は初めてでした」とリハビリのために武蔵村山病院に転院してゆくわたしに言った。それでわたしは記念に「カリフォルニア・サンシャイン」のアルバムのカセットテープを渡して病院のワゴン車に乗せられて転院していった。
fumio
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