monologue
夜明けに向けて
 



カリフォルニアサンシャインその51
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わたしは高校時代に好きだったリヴェリアス(Riverias)の『カリフォルニア・サン(California Sun) 』 、ママズ・アンド・パパスの『夢のカリフォルニア』 、そしてしばらくのちに大ヒットしたアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』 、イーグルスの 『ホテル・カリフォルニア』、などのカリフォルニアを歌った名曲の数々に触発されて、自分自身のカリフォルニアの太陽讃歌を作りたいと常々願っていた。

 1981年9月29日、わたしと妻と息子はサンフランシスコへ家族ドライヴ旅行した。運転中、なぜかカリフォルニアの陽光の詞とメロディが流れこんでくる。宿泊した、ヒチコックの映画『サイコ』を思い出させる、ゴキブリの出没する安モテルのメモに走行中に浮かんだ詞を書きつけた。

 
 カリフォルニアは日本列島ほどの広さの州なので北海道と沖縄の気候が違うように北カリフォルニアと南カリフォルニアでは気候風土が異なる。サンフランシスコは南カリフォルニアに位置してロサンジェルスから車で約六時間ほどの距離である。

 坂道で息切れする愛車を叱咤してチャイナタウンや観光名所を巡ってゴールデンゲイト・ブリッジを見おろすリンカーン・パークで『咸臨丸入港百年記念碑 大阪市長中井光次書』と書かれた黒い碑を前にして感慨に耽った。前に座る当時4才であった息子の大きさとの比較で碑の大きさがわかるだろう。この異国の仮マホロバ(カリホロニア)の地(つち)の上に立って勝海舟をはじめとする幕末のサムライたちが真のマホロバであるべき日本(ひのもと)の祖国を思い、新時代を築く礎(いしづえ)となる決意をどのように固めたのかと…。
fumio

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