天草・島原の乱においてただひとり生き延びた南蛮絵師山田右衛門作は300年のちの世の太平洋戦争の終わり頃、「「天に兆(しる)し顕れ木に卍(まんじ)呻(うな)り、野山に白旗立て諸人の頭(こうべ)にクルス立つ可く申し候。東西に雲の焼け必ずあるべし諸人の住む所皆焼け果つべし野も山も草も木も、皆、焼け申すべく之を書置く由申し候。」と口書で述べて書き置かせたが、 昭和20年8月9日午前11時2分にファットマンと呼ばれる爆縮プルトニュウム原爆が投下されたのだった。
fumio
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