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今日も朝からもばぁさんの病院行きを説得、結論から言うと私が一旦あきらめることに、少し日数をおいていつも行く医者に行く際につれていくことに、そう だまし討ち?しか手は無いようです。
バァさんの朝食をとる横で粘ること1時間、とにかくレントゲンだけでも撮ってもらおうに対し、そんなもん撮るようなことではない、何でいかにゃーいけのんかー、もうだいぶようなった、もう1・2日様子をみてみよう等々。
昨日と同じやり取り、本人はだいぶ良くなったでと私の前をゆっくり歩いてみせる、立ち上がる時痛んだろう?と聞くと、それは少しは痛いがもうようなってきている、見ていると激痛は無いようなので、一旦そっとしておくことに。
それにしても段々物事を聞いてくれなくなった、今年の秋には91才になろうとするのですから、あたり前と言えばあたり前なのですが、それでも寝たきりでもなく、耳は遠いがやり取りは多少の齟齬はあるにしても、理解できるので感謝しているのですが・・・・
しかしポケの現象が進むことと、並行して言うことをなかなか聞いていただけないことが多々、自分の母がまさかこんな風に変わり、子供のようになっていくとは思ってもみませんでしたが。
この日曜日は母の日でした、その日の中国新聞 天風録に紹介されていた、陶芸家岡上多寿子さんの詩画集、「本当につらかったのは下の世話や徘徊ではない、そんな母を認められずしかりつけたり手まであげたりした悔いや情けなさ・・・。」
今その言葉が気持ちがよく解ります・・・、母にとって子供はいつまでも子供であると同じように、子供にとって母はいつまでも母、変わって行く母を認めたくない気持ちと同時に情けないと感じたり・・・
皆が通っていく道なのでしょうが、理解と達観にはまだまだ時間がかかるよう・・・