「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

肉離れ

2007年07月11日 21時16分33秒 | Weblog
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48515766.html からの続き)

 今日、区民検診に 行ってきました。

 先日 ジョギングで傷めた 足も診てもらいました。

 症状を話したところ 結果は、 「肉離れ」 でした。

 筋肉の 部分的な断裂ですね。

 最初に少し痛みが出たとき 小さな肉離れ (軽度) があり、

 その後、激痛が走ったときに 大きな肉離れ (中度) を 起こしたということです。

 とにかく 今まで経験したことのない 痛みで、

 こむら返りなのだろうか とも思っていましたが、

 症状が違うので 腑に落ちないでいました。

 肉離れというのは よく知らなかったし、その発想がありませんでした。

 でも 見立てが付けば 落ち着きます。

 内出血が生じることも あるそうですが、僕の場合は なかったと思います。

 治療としては、急性期は冷し、慢性期は暖めるのが 一般的。

 今はもう 治っているので、徐々に ジョギングを再開しても 大丈夫だそうです。

 まだ 違和感があるのですが、

 皮膚の傷でも ふさがっても傷跡が 残っているのと同じで、

 完全に消えるのには 1年ほどかかるとか。

 走るとまた 傷めそうな気がするものの、

 充分注意しながら、ゆっくり 走ってみようかと思います。

 肉離れは一流アスリートでも 起こすものですが、

 年齢的なものも 原因のうちにあるとのこと。(・_・;)

 とにかく 様子を見ながら、

 自分の体と うまく付き合っていくことが 大切ですね。
 
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扇風機断裂

2007年07月10日 09時21分07秒 | Weblog
 
 毎晩 σ (^^;)寝酒を飲んでます。

 カーペットの上の テーブルで、座布団に座って飲みます。

 普段は そこから1.5メートルほどの、

 パソコンデスクの 椅子に座って作業をしています。

 昨夜、寝酒を飲みながら、知らぬ間に 眠ってしまったようです。

 気が付いた瞬間、どこかに額を したたかぶつけていました。

 何故か、デスクの椅子に座っています。

 見ると、1メートル半ほど離れた ビデオの棚から、

 ビデオカセットが 多数崩落しています。

 そして、椅子と棚の間にある 扇風機が、

 台座の部分から 真っ二つに破断していました。

 羽根の前面のカバーも はずれて転がっています。

 台座から垂直に立っていた 柄の部分は、

 見るも無残に ギザギザの断裂面を 呈しています。

 ビデオの棚に 頭をぶつけたような 気もしますが、

 扇風機のほうに ぶつけたのか、定かではありません。

 体の痛みは 額にしかありませんでした。

 一体全体 何事が起こったのか、茫然自失……?

 寝酒を飲みながら、そのままカーペットの上に 寝てしまうことはありますが、

 こんな奇妙奇天烈な 謎の事件は初めてです……(?.?;)

 額の傷だけが 知っている……??
 
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「柳川掘割物語」(4)

2007年07月08日 18時33分30秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48765192.html からの続き)

 柳川の水路は、単に 昔への郷愁や 懐古趣味ではありません。

 水の暮らしの中の 合理性を再構築し、政治的・経済的圧迫の中で

 耐え抜く人間の 英知として、未来に引き継いでいこう というものです。

 今でも 柳川では定期的に、市職員や市民総出の 浄化再生に取り組んでいます。

 冬には、水底の泥をすくい取る 「水落ち」 が風物詩となり、

 鯉の手づかみに興じます。

 春は 「川まつり」 です。

 こうした “水との煩わしい付き合い” と、住民の共同精神の下に 柳川は蘇り、

 その悠揚たる姿を、今日もたたえているのです。
 

 周囲が全て 埋め立て計画という ひとつの方向へ動いていた時、

 たった一人 反旗を翻す男がいました。

 彼がいなければ、あるいは 彼の言葉に心を動かした 市長がいなければ、

 今 あの美しい掘割は この世に存在しませんでした。

 この柳川再生の思想は、現在では 日本中に普及し、

 排水の浄化や 資源のリサイクルは 当たり前になっています。

 しかし、高度成長時代の 真っ只中にあって、

 先見的なエコロジーの考え方を 訴えることは、

 果たしてどれほど 大変なことだったでしょう。

 人は 易きに流れがちです。

 それに逆らうのは 想像以上に困難を極めます。

 世の中は決して 自分の思うように行くものではありません。

 しかし、それでも敢えて 自分の信念を道連れに、

 理想を実践しようとする 人間の存在が必要です。

 世の中は 大半の人が保守的であるからこそ 成り立っていますが、

 中には こういうことをする人がいないと、社会は変化せず 腐敗してしまいます。

 一度は腐った 柳川の水路は、そんな人間の 熱意によって、

 人々の心も動かして、蘇ったのでした。
 
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「柳川掘割物語」(3)

2007年07月07日 19時23分35秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48746537.html からの続き)

 これに耳を傾けた 当時の古賀市長は、

 国の助成まで決定している 埋め立て計画を一時中止し、

 広松に 半年間の時間を与えるという 英断を下しました。

 この限られた期間に 広松は、街中の水路を 徹底的に調査し、

 埋め立て計画推進者の 説得に当たらなければなりませんでした。

 それまでは 手紙を書くのさえ億劫だった という彼は、

 河川浄化計画の 膨大な資料を作成しました。

 そして 顎まで水に浸かりながら、自ら水草取りを 根気強く続けました。

 当初は、観光行政の片棒担ぎ との批判も出ましたが、

 広松の一途な姿勢を見て 住民も次第に、水の大切さを 再認識しはじめました。

 忘れかけていた 水との暮らしを 思い出していったのです。

 やがて、人々は 力を合わせて 川の掃除を始め、

 市を挙げての 浄化作業が着手されました。

 隣近所、子供たちも 総出でゴミを回収し、水草を取り、

 堀の水をくみ上げて、水底の泥を除去します。

 その水草や泥は 田畑の肥やしとなります。

 作業を通じて、人々の連帯感も 高まりました。

 そして、8年の年月をかけて、とうとう柳川は 命を吹き返したのでした。

 映画冒頭の、限りなく美しい 柳川の風景が蘇ります。
 

 合理主義の名の下に 進められる科学計画とは、いかなるものだったでしょう? 

 地下水をくみ上げるために 地盤は沈下する。

 下水は 無媒介にパイプに流し、水が足りなくなれば 遠方から力ずくで運んでくる。

 地表を コンクリートで固めれば、出水時には 水が地面にしみ込まず 街に溢れる。

 それらはどれも 目先の合理性です。

 自分の住む地の 水を活かし、自然のリサイクルに 身を委ねる暮らしと、

 果たしてどちらが 合理的と言えるでしょう? 

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48784187.html
 
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「柳川掘割物語」(2)

2007年07月06日 20時32分40秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48722767.html からの続き)

 たまりかねた市議会は、何の役にも立たなくなった 中小水路を、

 全て コンクリートで埋め立てるという 計画を打ち出しました。

 上下水道のなかった 柳川に、地下水をくみ上げて 水を供給し、

 水路を埋めて コンクリートの下水道を設置する という構想です。

 住民も 環境の改善を切望し、国からの助成金も 得られました。

 今や どこの都市でも 掘割は過去のものとなり、都市計画が 進められています。

 これが時代の流れ というものです。

 それでも柳川は、大きな水路が 姿を留めるだけでも 恵まれている。

 計画に反対する者は 誰もいませんでした。

 水の街・柳川から、水路が 姿を消そうとしていました。
 

 下水路計画が 今まさに着手されようとした その時、

 一人の男が 異議を唱えました。

 都市下水路 係長となった 広松伝でした。

 風采の上がらない、不器用そうな 中年男。

 頭も薄くなって、訥々としゃべる、黒縁眼鏡の男です。

 広松は 訴えました。

 水路を埋めて 地下水を無制限にくみ上げると、

 水分70%の 有明粘土層でできている 柳川の地は沈没する。

 川を清浄にし、水路の機能を 回復することこそが大事だと。

 二千年の昔から、この地に住む人々の 幾多の苦労と知恵によって、

 縦横に巡らされてきた 無数の水路。

 随所に設けられている 堰 (せき)、桶門 (ひもん)。

 長い歴史の 試行錯誤を通じて、祖先たちが作り上げた 水利システム。

 それが、いかに自然の水を 巧みに利用した リサイクルであったか、

 常に水位を保って、いかに街を救い、人々に潤いを与えてきたかを、

 彼は懇々と 主張したのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48765192.html
 
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「柳川掘割物語」(1)

2007年07月05日 16時30分27秒 | 映画
 
 1987年の ドキュメンタリー映画ですが、

 現在のエコロジーに 通ずるものがあります。

 監督は 「火垂る(ほたる)の墓」 「おもひでぽろぽろ」 の高畑勲、

 制作が宮崎駿 という異色作です。
 

 福岡県柳川市、街には 大小無数の水路が 張りめぐらされ、

 日本のベニスのような趣です。

 静かに、ゆったりと流れる 水面(みなも)。

 花嫁を乗せて、たゆたうように 川を下る 「どんこ船」。

 鯉,鮒,ザリガニ,カササギ,草魚,雷魚,

 ウォーターヒヤシンス,四季の植物……。

 水路の点描は 限りなく美しく、目を奪われます。

 水と親しみ暮らしている 柳川の人々。

 人の生活と共に、水は澄むこともあれば 濁ることもあります。

 それでも柳川の水は、したたかに、清濁合わせ呑み、

 今日も街を巡って、人々に潤いと慰みを 分かち与えています。
 

 しかし、この柳川の水路は、

 決して 破綻なく悠久に 流れ続けてきたわけではありませんでした。

 昭和30年代からの 日本の高度成長時代、

 柳川の街も 工場や住宅からの 排水によって汚染が進み、

 膨大な廃棄物と ヘドロに埋まったのです。

 それに伴う 水草の増殖。

 水の流れは滞り、川は見るも無残に 荒廃してしまいました。

 蚊やハエの発生源となり、街中に臭気が充満しました。

 正に 川は死に瀕していたのです。

 映画の冒頭の 美しい柳川のシーンからは 想像もできない、

 粗大ゴミが積み上がった 不浄な映像は 非常にショッキングでした。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48746537.html
 
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光市母子殺害事件 被告人質問(6)

2007年07月02日 19時32分44秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/48610171.html からの続き)

 昨日の報道番組で、元少年の手紙の中から、

 僕が初めて聞いた文面が 紹介されました。

「オイラは 嘘のプロだから、世のきたなさは 人一倍知ってるもん。

 でも 『殺人』 はみとめたろ? 

 これでも プライドはあるからな、

 『やってね~』 って言うヤツは、嫌いだね。

 オレが何十年後に 娑婆に復帰したら、せいだいに パーティーでもしてくれよ!」

 これらの文面に対して、弁護団は 果たしてどういう弁明を しようというのでしょう?

 来月の第2回集中審理が 待ち望まれます。

 

 今日のニュースでは、市橋容疑者に殺害された、

 イギリス人 英会話教師・リンゼイさんの 両親が出演していました。

 リンゼイさんの父親は、市橋容疑者が 逮捕されて有罪となり、

 一生刑務所で暮らしてほしいと 涙ながらに述べていました。

 リンゼイさんも 本村弥生さんに劣らず 残忍な方法で殺害され、

 遺族の被害者感情は 本村さんと同様でしょうが、

 死刑のない国から やってきているため、

 このような発言に なるのだろうかと思われます。

 死刑というものがなければ、被害者遺族の感情は、

 犯人に死んでほしい というところまでいかない ということでしょうか。

 死刑制度の存廃を 考える上で、重要なことではないか と思います。
 
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49124214.html
 
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