朝の気温が下がり、爽やかとなってきたので、散歩を再開しました。昨年の夏にはよく早朝に歩いていたのですが、その後すっかりご無沙汰しています。
まずは、ベランダから毎日眺めている比叡山の登山口、きらら坂(雲母坂)の入り口まで行ってみることにしました。
出発は、午前6時6分(2009-08-25)。日の出の時間が少しずつ遅くなっています。
歩き始めて20分くらいは住宅地の中の道ですが、水田も残っています。そういえば「きらら」という米の銘柄があります。
音羽川にかかる雲母橋に着きました。この川の北側は、宮内庁が管理する修学院の敷地です。事前申し込み制なので、まだ見学したことはありません。
昨年も8月にここまで散歩で来ています。(2008-08-21)
橋の写真が、ほとんど同じですね。
さて、ここまでゆっくり歩いて来て約40分かかりましたが、まだ7時前でした。
登山道の入り口に掲示されている大雑把な案内図を見ると、修学院の敷地に沿ってここからの登山道があり、敷地の向こう側、北からの登り道と途中で合流することがわかりました。
それならばと、修学院の外周を一回りして帰ることにしました。
登山道はすぐに狭くなり、かなりの急坂です。雨で削られてV字の溝状になっています。道の左側に並ぶ石柱には修学院境界の鉄条線が張ってありました。
土質は、花崗岩が風化した感じです。暗いので撮影時自動ストロボが光ったため、雲母らしき微小石片が光って写っているようにも見えます。
さて、修学院の敷地は半端ではなくてとても奥が深く予想が外れました。急坂が延々と続き、ようやく北側境界に沿って登ってくる道に合流したのは、雲母橋から30分近くも登ったところでした。
一応ペットボトルに入れた水も持っているし、天気もとても良いので、朝食は食べてこなかったけれど、ケーブルカーの「ケーブル比叡」駅までは登ってみることにしました。
これが本当の「朝飯前」。
京都側の「叡山ケーブル」は、「八瀬駅」から8合目くらいの「ケーブル比叡」駅に通じていて、そこから山頂へは「叡山ロープウェイ」が連絡しています。
この坂道は、歴史上、比叡山延暦寺と京都を結ぶ重要路でした。
叡山の僧兵が坂本日吉大社の神輿を担いで都に押し寄せたり、親鸞が叡山横川にて修行の傍ら、毎晩、都心の六角堂に通うため登り降りしたりと。
こんな狭い道ではなかったのでしょう。これではとてもお神輿は通れません。
午前7時20分には、水飲対陣跡の石碑のところまで到達できました。後醍醐天皇と足利尊氏の戦跡だとのこと。
この少し前からは、京都市観光局が定める「京都一周トレイル」のコースに合流するので、路面の整備状況がよくなりました。
(つづく)
まずは、ベランダから毎日眺めている比叡山の登山口、きらら坂(雲母坂)の入り口まで行ってみることにしました。
出発は、午前6時6分(2009-08-25)。日の出の時間が少しずつ遅くなっています。
歩き始めて20分くらいは住宅地の中の道ですが、水田も残っています。そういえば「きらら」という米の銘柄があります。
音羽川にかかる雲母橋に着きました。この川の北側は、宮内庁が管理する修学院の敷地です。事前申し込み制なので、まだ見学したことはありません。
昨年も8月にここまで散歩で来ています。(2008-08-21)
橋の写真が、ほとんど同じですね。
さて、ここまでゆっくり歩いて来て約40分かかりましたが、まだ7時前でした。
登山道の入り口に掲示されている大雑把な案内図を見ると、修学院の敷地に沿ってここからの登山道があり、敷地の向こう側、北からの登り道と途中で合流することがわかりました。
それならばと、修学院の外周を一回りして帰ることにしました。
登山道はすぐに狭くなり、かなりの急坂です。雨で削られてV字の溝状になっています。道の左側に並ぶ石柱には修学院境界の鉄条線が張ってありました。
土質は、花崗岩が風化した感じです。暗いので撮影時自動ストロボが光ったため、雲母らしき微小石片が光って写っているようにも見えます。
さて、修学院の敷地は半端ではなくてとても奥が深く予想が外れました。急坂が延々と続き、ようやく北側境界に沿って登ってくる道に合流したのは、雲母橋から30分近くも登ったところでした。
一応ペットボトルに入れた水も持っているし、天気もとても良いので、朝食は食べてこなかったけれど、ケーブルカーの「ケーブル比叡」駅までは登ってみることにしました。
これが本当の「朝飯前」。
京都側の「叡山ケーブル」は、「八瀬駅」から8合目くらいの「ケーブル比叡」駅に通じていて、そこから山頂へは「叡山ロープウェイ」が連絡しています。
この坂道は、歴史上、比叡山延暦寺と京都を結ぶ重要路でした。
叡山の僧兵が坂本日吉大社の神輿を担いで都に押し寄せたり、親鸞が叡山横川にて修行の傍ら、毎晩、都心の六角堂に通うため登り降りしたりと。
こんな狭い道ではなかったのでしょう。これではとてもお神輿は通れません。
午前7時20分には、水飲対陣跡の石碑のところまで到達できました。後醍醐天皇と足利尊氏の戦跡だとのこと。
この少し前からは、京都市観光局が定める「京都一周トレイル」のコースに合流するので、路面の整備状況がよくなりました。
(つづく)