昔、天竺と呼ばれたインドは仏教が始まった国である。
シャカ族王子のブッダは出家しこの河周辺にて数年にわたる厳しい修行をおこなった。しかし悟りを得ることができず苦行を断念。村娘スジャーターから乳粥の供養を受けた。 その後ブッダは降魔成道により悟りを開く。(ITUジャーナル Jan.2012)
参考文献引用:丸山勇「ブッダの旅」岩波新書1072、p.73
"6.前正覚山 ー 悟りの場を求めて
ブッダガヤーから東北を眺めると尼連禅河の対岸に菩提樹やマンゴー樹、そして棕櫚(しゅろ)などの木立が往事を偲ばせるように折り重なっている。
樹林の向こうには田園を遮るように標高およそ150メートル、長さ5キロほどの細長い岩山が南北に連なっている。
「ガヤー・カーシャパが火に事(つか)えた所より東して大河(尼連禅河)を渡り、プラーグ・ポーディ山(前正覚山)にいたる。如来(釈迦)は修行すること六年におよんだが、まだ悟りをひらかなかった。その後、苦行を断念し乳粥を受けた。東北より進みこの山に目をやると幽寂の感あり、ここで悟りをひらこうと思った」と玄奘が記しているように、ここが、スジャーターが捧げた乳粥をとって体力を回復した釈尊が悟りの場を求めて向かった前正覚山(ぜんしょうがくさん)である。"
シャカ族王子のブッダは出家しこの河周辺にて数年にわたる厳しい修行をおこなった。しかし悟りを得ることができず苦行を断念。村娘スジャーターから乳粥の供養を受けた。 その後ブッダは降魔成道により悟りを開く。(ITUジャーナル Jan.2012)
参考文献引用:丸山勇「ブッダの旅」岩波新書1072、p.73
"6.前正覚山 ー 悟りの場を求めて
ブッダガヤーから東北を眺めると尼連禅河の対岸に菩提樹やマンゴー樹、そして棕櫚(しゅろ)などの木立が往事を偲ばせるように折り重なっている。
樹林の向こうには田園を遮るように標高およそ150メートル、長さ5キロほどの細長い岩山が南北に連なっている。
「ガヤー・カーシャパが火に事(つか)えた所より東して大河(尼連禅河)を渡り、プラーグ・ポーディ山(前正覚山)にいたる。如来(釈迦)は修行すること六年におよんだが、まだ悟りをひらかなかった。その後、苦行を断念し乳粥を受けた。東北より進みこの山に目をやると幽寂の感あり、ここで悟りをひらこうと思った」と玄奘が記しているように、ここが、スジャーターが捧げた乳粥をとって体力を回復した釈尊が悟りの場を求めて向かった前正覚山(ぜんしょうがくさん)である。"