普陀山の小島にいよいよ上陸しました。
ここは、中国の四大仏教名山(仏教聖地:五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られ、年間360万人を超える観光客が訪れるそうです。平均すると、毎日1万人です。
この小島には多数の仏教寺院が林立しています。
なぜか?
今から約1100年も昔の西暦916年、中国への渡来僧である慧萼(えがく)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとして帰国の船に積み込んだ観音菩薩像が当地で日本に渡ること拒んだ(=不肯去)、つまり船がここから先に進めない事態となったという故事にちなんでいます。
その観音菩薩は「不肯去観音」と称されることになりました。当時の日本は、中国から見て大変な低開発国で野蛮な文化の遅れた地域と考えられたのでしょう。
東シナ海につきだした岬にお堂が建っています。
ご利益があると信じられているのか、真鍮の置物が参詣客の手でこすられてぴかぴかに光っていました。
普済禅寺が中心のお寺です。
このお寺に、かつてだ日本の大学大学院に留学されていた高僧がおられて、その方を表敬訪問しました。
お寺の形式は、まず、前にあるお堂には、布袋さんが、
その裏には、別の仏像が安置されています。いずれも金色に輝いていました。
その両脇には、四天王。
日本の寺院とは異なり、こちらの四天王は原色でしっかりと色づけされています。巨大です。迫力満点。
中国の長い歴史の中で、何度も政治的な廃仏が実行されたため、ほとんどの仏像や石碑が破壊されてしましました。最近では「文化大革命」で、毛沢東率いる紅衛兵たちに徹底的に破壊されました。現在の仏像はそのためかなり新しいのです。
ここは、中国の四大仏教名山(仏教聖地:五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られ、年間360万人を超える観光客が訪れるそうです。平均すると、毎日1万人です。
この小島には多数の仏教寺院が林立しています。
なぜか?
今から約1100年も昔の西暦916年、中国への渡来僧である慧萼(えがく)が、中国留学を終えて日本に帰国しようとした際、日本に招来しようとして帰国の船に積み込んだ観音菩薩像が当地で日本に渡ること拒んだ(=不肯去)、つまり船がここから先に進めない事態となったという故事にちなんでいます。
その観音菩薩は「不肯去観音」と称されることになりました。当時の日本は、中国から見て大変な低開発国で野蛮な文化の遅れた地域と考えられたのでしょう。
東シナ海につきだした岬にお堂が建っています。
ご利益があると信じられているのか、真鍮の置物が参詣客の手でこすられてぴかぴかに光っていました。
普済禅寺が中心のお寺です。
このお寺に、かつてだ日本の大学大学院に留学されていた高僧がおられて、その方を表敬訪問しました。
お寺の形式は、まず、前にあるお堂には、布袋さんが、
その裏には、別の仏像が安置されています。いずれも金色に輝いていました。
その両脇には、四天王。
日本の寺院とは異なり、こちらの四天王は原色でしっかりと色づけされています。巨大です。迫力満点。
中国の長い歴史の中で、何度も政治的な廃仏が実行されたため、ほとんどの仏像や石碑が破壊されてしましました。最近では「文化大革命」で、毛沢東率いる紅衛兵たちに徹底的に破壊されました。現在の仏像はそのためかなり新しいのです。