智者塔院を出て、また山道を歩いて下りました。舗装された狭い車道にマイクロバスが待っていましたが、その場所には「智者塔院入り口」との標識も何もなく地元のガイドがいないと決してたどり着けません。秘境です。
車で山を下ってしばらく行くと、渓流沿いの大きなお寺が現れました。
高明講寺。
ここは、五百羅漢の像が並んでいました。
等身大に近いリアルな羅漢さんが、1階と2階の大きな部屋に500体も並んでいました。
この手の長い羅漢さんの理由も説明をしてもらったのですが、・・・忘れました。
お経と法話の説法だけでは、仏教思想は伝わりにくいので、この様な「マルチメディア」が使われるのでしょう。
このページの最初の写真のお堂ですが、まだ真新しい。これ以外にも布袋さんや四天王の覆い堂を建築していました。
こうした資金はだれが寄付しているのでしょう。取り立てて観光寺とは思えません。
中国国内で事業に成功した篤志家か、海外で華僑として金持ちになったこの地の出身者が寄進したのでしょうか。
車で山を下ってしばらく行くと、渓流沿いの大きなお寺が現れました。
高明講寺。
ここは、五百羅漢の像が並んでいました。
等身大に近いリアルな羅漢さんが、1階と2階の大きな部屋に500体も並んでいました。
この手の長い羅漢さんの理由も説明をしてもらったのですが、・・・忘れました。
お経と法話の説法だけでは、仏教思想は伝わりにくいので、この様な「マルチメディア」が使われるのでしょう。
このページの最初の写真のお堂ですが、まだ真新しい。これ以外にも布袋さんや四天王の覆い堂を建築していました。
こうした資金はだれが寄付しているのでしょう。取り立てて観光寺とは思えません。
中国国内で事業に成功した篤志家か、海外で華僑として金持ちになったこの地の出身者が寄進したのでしょうか。