朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

アダンの木

2013-02-20 | 国内各地の風物
ホテル近くの海岸には、こんな木が群生していました。



まるでパイナップルの実のようですが、全く違います。食べられません。



全体の木の姿はこんなようになっていて、葉には鋭いトゲがいっぱいついています。



白い珊瑚の海底があるのか、海の色が薄青緑のグラデーションになっていました。



ガジュマルの木、夏は良い日陰の休憩所になることでしょう。



もっと立派なガジュマル。赤尾木の教会敷地に立っていて、「ケンムン」が住んでいるとの伝説があります。



ホテルでもらったこの手書き地図に導かれて散歩しました。

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田中一村という日本画家がいます。この本の表紙になっているのがアダンの実です。


(引用:アマゾン「田中一村作品集」)


この作家は「日本のゴーギャン」とも呼ばれていますが、有名になる前になくなったので苦労が多い人生だったようです。



もう一枚、イメージを掲載します。
(引用:アマゾン「もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション) 大矢 鞆音」)


特に、東山魁夷とは東京美術学校(現東京芸大)で同期の日本画学生を過ごしています。そのことに関して、美術愛好家からいくつかのネットコメントが探せます。(備考に掲載)

空港近くの「奄美パーク」(旧空港土地再利用の公園)に美術館があるのですが、見落としました。そんなパークがあることは案内書で知っていたのですが、単に伝統風俗展示や子供向けかと思いました。この田中一村美術館もほとんど言葉だけでの紹介で、画像は小鳥ルリカケスの切り抜き画と本人写真だけではイメージできませんでした。著作権のことは理解できるのですが、せめて代表的絵画のイメージを二三紹介してくれないと興味がわきません。(このブログを書くため調べて初めて強い興味を覚えました)

残念、次回に・・

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備考;

”同じ画家でありながら、苦悩しながらも『戦後の日本を代表する国民的日本画家』と謳われた東山魁夷と、
「私の絵の最終決定版の絵がヒューマニティであろうが、悪魔的であろうが、世の正道であるとも邪道であるともなんと批評されても私は満足なのです。それは見せるために書いたのではなく私の良心を納得させるためにやったのですから」(田中一村の手紙より)と語り、生きている間に作品が評価されることもなくその生涯を閉じた田中一村。
建築界の巨匠、吉村順三に設計してもらった家で長年にわたって数多くの高い評価を受ける作品を描いた東山魁夷と、
生涯独身で奄美の粗末な借家で誰にも看取られないまま最後を迎えた田中一村。”
(引用:ここ

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”東京芸大では、東山魁夷と同期で在学中は 彼より優れた技量をもつと言われながらも、芸術の実業の世界では コネのあった魁夷に後れをとり、失意のうちに千葉から沖縄(注:正しくは奄美大島)に移り住み、其の南国の美しさに魅せられた田中一村の純粋な心に立ち返って、素直な視線で挑戦した素晴らしい構図と色彩に魅了された。特に、一枚の絵の中で、魅力的な場所をクローズアップさせて、其の筆致が迫りくる編集をしているのは素晴らしい。”
 (引用:ここ


コメント
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