京都府の北部「海の京都」の話題です。
車検整備の後のテスト走行なので田舎道や山道、細い道も走ってみました。行き当たりばったりで、色々な場所を走っていてこんな幟を見つけたので、「ちりめん」てなんだろうと思いました。
場所は、与謝野町です。後で調べで知ったのですが、与謝野晶子の夫、与謝野鉄幹の父の出身地でも有りました。
それで地図をじっくりと見て、スマホでGoogleMapアプリのカーナビで、まずはこの「丹後ちりめん歴史館」に行ってみました。
廃止されたちりめん工場の一部を再利用し機械の動態保存と展示、さらに製品や関連商品の販売をしていました。入場は無料。
入り口に近づくと「ガシャンガシャンガシャン」とかなりの騒音が聞こえてきました。
その音源はこれ:
ちりめんのジャカート織機が発生する音です。実際に伝統的な機械が稼働していました。
この機械の上部に設置されている「パンチカード]読み取り装置(機械的(光学でなはい)に読み取ってそれを織り機に伝える機構)がまさに芸術的でした。(外観が)
これだけだなく、関連するもっと古い機械や絹糸を紡ぐ機械も展示してあります。
このジャカート・・その機械を制御する(織り方をプログラムする)紙テープです。今ならば、この何億倍も小さなメモリーに安全に安く収納していくことができます。
この織機では、縦糸を操作することで、別の色ではなく同じ無色の絹糸を制御して、このような模様を紡ぎだすことができるのです。
「丹後ちりめん」とは、 ”1mあたり3,000回程度の強い撚りをかけた緯糸(よこいと)を使って織ることにより、生地の前面にシボと呼ばれる凹凸が生まれる。シボはシワを防ぎ、絹の持つ光沢を鈍く抑え、一般の絹織物には出せないしなやかな肌触りや染めつけの良さを作りだす。”(引用:Wikipedia[丹後ちりめん」)
こんな機械が並んでいたのです。今は、それでも数千の織り屋さんがこの町内にて仕事をしているとのことでした。
丹後しぼりの着物。
欧米のブランドスカーフなどの注文を受けて、この地で作っているのですが、検査で弾かれたB級品を安く販売していました。(ホントかな?)
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グンゼ博物蔵やこの歴史館で、絹、シルクの歴史に強く興味をもったのは、実は、父方の祖父(養子)が「養蚕技師」であったからです。彼は年若くして亡くなったのでボクの記憶にはありません。
戦前、関西の田舎では養蚕が盛んでした(多分関東でも)。子どもの時に父の実家の屋根裏で蚕を育成する道具類を見た記憶があります。祖父が純粋な農業者ではなく、理工系とも言える「技師」であったこと、そして当時のハイテク(絹工業)を説明する展示を見たことは、とてもボクにとってうれしいことでした。