この度の舛添都知事騒動で感じることは、
なんのために、毎日毎日、すべてのチャンネルが、あれ程時間を割いて、そして、あれだけの人たちが、とっかえひっかえ同じような批判を散々していたのか、ということ。
“なんのために”
そう、全ては都知事を下ろすため。
都知事をやめさせたいかどうかは本当はもちろん都民の問題です。
都民の中に確かに舛添氏に批判的な人はいました。しかし、選挙に勝ったということは、それなりの実力があることが、その人数を上回り認められたからでしょう。
厚労省時代を見ても、舛添氏が実力のある人であることは間違いないということなのですが
でも、今こうして考えると、当選した一番の理由は自民公明の公認というアピールが大きかったということだったのでしょうね。
しかし、東京五輪で莫大な予算がかかる案を舛添都知事が止めさせると。
一転、今度は自民の誰かさんが舛添都知事を下ろしにかかった。
政治家による都知事下ろしだったことは間違いないようです。
だから本当はここに都民の意見などは挟まれてはいません。都民も国民もただ連日マスコミの劇を観せられていただけ。
視聴者や読者はスポーツ観戦よろしく、ビール片手に「舛添がこう言った」「過去にこう言ってた」「こんなこともしてた」
・・・・・・・・・・・・?
というか、大半はマスメディアなど大して相手にもしていなかったかもしれません。
マスコミが、世論がそうだと言っても、それを証明するものなどないのです。
SNSの書き込みが世論のすべてでもない。
それにSNSなんていくらでも都民や国民に成りすませる。
とにかく舛添氏自身がやむなく辞任するまで、マスコミが連日真っ黒い「正義」の旗を振り続ける。
それが仕事だと思い込んでいる真正馬鹿。
ま、人の悪口言って給料もらえるなんて彼らにとっては最高の「天職」だというところでしょう。
政治家主導のマスコミによる民意操作はこうして今日も行われているのです。
なにが護憲だ。
権力者によるマスコミを使った報道の自由。
国民主権を裏切る完全なる違憲。
都知事選挙の段階から本当は都民の民意なんか、反映されてなどなかったのです。
マスコミに頼る選挙。
国民の大半がそのような“意識”であるうちは
マスコミに踊らされ大事な日本の未来をかき回されても、自業自得というものでしょう。
でもやはり私には、日本人に、マスコミが糾弾する「一人の生贄」に、本当に一緒になって罵声を浴びせている人がいるなどとは思いたくもないことですが・・・・・。
“─(中略)─マスコミの人でも、生前、良心に従い、「悪をただして、世の中をよくしよう」と、ほんとうに思っていた人は、天上界において、テレビや新聞で「天上界ニュース」を流したりしています。
地獄のやや上のほうには、「地獄新聞」を発行している、マスコミの人もいて、「今回、地獄に送られてきた人たち」というような記事を新聞に載せています。 特に、地上界で有名だった人が来たときは、大きな見出し付きで、「今回、○○株式会社の社長が地獄へ来ました。みなさん、やっつけましょう」などという 「地獄ニュース」を流しています。そして、その人が、その後どうなったかについて、「人々の弾劾に遭って八つ裂きにされた」「火あぶりに遭った」「もう一つ下の地獄に堕ちた」などということを記事にして載せています。新聞をつくっている人は地獄にも天上界にもいるのです。」”
『霊界散歩』第二章/幸福の科学出版