11年前の1996年の今頃でしょうか、スペインのアルヘシーラスという、ジブラルタル海峡先端の町に駐在していました。ジブラルタルについては、5月23日の記事「飛行場の滑走路に信号と踏切が??」で紹介してありますので参考にして下さい。
スペインの夏は日没時間が夜9時頃なので、南部アンダルシアの昼食は午後2時~5時頃、また午後5時から8時頃には再び仕事をしている会社も多々あります。夕食は、夜11時頃からという、日本ではとても考えられないタイムスケジュールなのです。
この時の私は、現地での業務を担当していませんでしたので、のんびりとした駐在生活でした。朝6時には、現場へスペイン人スタッフと1時間ほどかけて行くのですが、午後2時か遅くとも3時頃には、もう帰宅できたような生活でした。夕方7時頃から現地のスタッフと事務的な打ち合わせをすることが時々ある程度でしたので、夕方8時頃からはときどき町に買い物がてら、家内とお茶をしに行っていました。
そんな、町中にあるカフェテリアで家内とコーヒーを飲んでいたとき、日本人のご婦人らしきお方が通りすがりに、我々を珍しそうにご覧になっているので、「こんにちわ」と私からご挨拶いたしました。
「あら!やっぱり、日本人なのね!」と驚かれていました。
このアルへシーラスの町は、モロッコ行きのフェリーが就航していることから、日本人のバックパッカーは時々見掛けるのですが、ふつうは日本人といえば我々の事業の関係者しかまず見掛けることが無い町だったからです。
「失礼ですけど、ご旅行?」
「いいえ、短期間ですけれど、駐在として赴任しているのですが・・・」
「私、Kといいましてね、ご存じがどうか知りませんが、物書きをしてますの。サン・ロケって、ご存じかしら?そちらに、今滞在しているのですよ。」
「あ~、知っています。あのゴルフ場の中に別荘があるところですか?」
「そうそう、その中の別荘の一つを所有していて、時々来るのよ。ところであなたたちは?」
私が、マグロ畜養事業をしている会社に勤めていることなどをお話しましたところ、Kさんは大変興味を示されて、
「よかっったら、お休みの日に遊びにいらっしゃいよ。是非、お話しを聞かせて頂きたいから」と、お誘いを受けたのでした。
翌週、早速お電話にて、再度お誘いをうけましたので、家内と共に週末お邪魔することにいたしました。
ゴルフ場のクラブハウスで出迎えて頂きランチをご馳走になった後、暖炉がある素晴らしい別荘にお邪魔しました。お隣りは、英国貴族の方が所有の更に大きな別荘で、冬になると召使いまで連れて、避暑ならぬ、避寒に訪れるそうです。
また、近くのジブラルタルから英国への直行便があるせいで、英国人はジラルタルのカジノやこのゴルフ場にも来るのだそうです。大きな窓の一つにはからは?番ホールのフェアウェイが借景となっていて、ふと見たら、ショーン・コネリーがクラブを構えていたなんて嘘のような楽しみのある素晴らしい別荘でした。
実は、Kさんは、「スペイン子連れ留学」の著者で、当時、上智大学の講師もされており、更には、1000万円もするような豪華世界一周クルーズの船内臨時講師もされていらっしゃったようです。また、ご主人は著名な古美術評論家?のようでした。
楽しいお話しも尽きないので、そろそろと思って近くにあった大きな灰皿を見てびっくりしたのですが、アンモナイトの大きな化石が入った灰皿でした。
「これって、博物館に保存するようなシロモノですよね!」と、驚いている私に
「それはね、モロッコにいる友人からの”おみやげ”なのよ。その方、モロッコ国王のお気に入りでね。」
「えっ!その方って、日本人女性なんですか?」
「そうなのよ。・・・ちゃんはマッサージ師でね。国王の大のお気に入りで、宮殿に住んでいるのよ。」
「さすが、作家だけあって、ネタには困らないですね」
「あははは・・・、私はOさん(直木賞作家のOGさん)と違って、嘘は書かないから、・・・ちゃんの事は書かないのよ。今、ある闘牛士の件で、取材してそれを書こうと思っているところなのよ。マグロの話しも面白そうだから、それを書こうかしら。」などと、逆にからかわれてしまいました。
やはり、その場では聞きづらかったのですが、この・・・ちゃん、やはりモロッコ国王の第?夫人だったんでしょうか?或いは、単なる・・・だったのでしょうか?