昭和36年、杉並第5小学校の1年生の時、私にとっての最大の事件は、プール開きのクラス代表者選びでした。私は、クラスでは背丈は一番高く、運動も得意な少年でした。ですから、同級生は皆、当然私が水泳も得意であると勘違いしていたようです。
そして、6月末のある日、担任のT先生が、「来週XX日に、いよいよ学校のプールが使えるようになります。そこで、プール開きを行いますので、皆で男子、女子のクラスの代表者を選びましょう。」と言ったのでした。また、悪いことに、その日は確か授業参観日でもありましたので、多くのお母さん達も来ていたのでした。勿論、私の母も来ていました。
泳げない私は、まさか自分が候補に選ばれるとは夢にも思ってもみませんでした。そして、担任のT先生が、「皆さん、だれを代表にしましょうか?男子は誰にしましょうか?」と言ったところ、”KM君”という声が真っ先に上がりました。KM君は、成績優秀ですから、当然だと思いました。先生が黒板にKMと書きました。ところが、近所に住むS君が”中村君”と言ってしまったのです。私は、心の中で”えっ!僕、泳げないのに!”と、思ったのでしたが、”先生、僕泳げません!”とは、何故か言えなかったのです。
そうこうするうちに、T先生は、「それでは、男子はKM君か中村君のどちからを選びましょう!女子はMK子ちゃんという声しかありませんでしたが、皆さんMK子さんで良いですか?」
「は~い」と、皆が大声で返事をしたので、T先生は「それでは、この列から一人づつ、KM君か中村君かを言って下さいね!」と言うと、一人ずつ聞き始めたのです。
黒板に書かれた”KM”と”中村”の文字の下に、”正”の字が次々と書かれていったのでした。それは、私にとっては、地獄のような思いでした。運動が得意であった私は、クラスメートから、当然に水泳も得意であろうと思われていたのでしたが・・・。でも、実際の私は、まったく泳げない少年だったのです。別に嘘を付くつもりなど、さらさらなかったのですが・・・。只々”泳げない”と、皆の前で言いそびれてしまったのでした。それは、羞恥心から言うタイミングを逃してしまっただけの事だったのですが・・・。
一票一票とKM君と私は票を競り合ったのでした。票が競り合う毎に、同級生達は歓声を上げていたのでした。しかし、私にとっては、私の名前を呼ばれる度の歓声は、地獄の悪魔達の雄叫びのように感じたのでした。おそらく、私は顔色を真っ青にしていたと思います。しかし、T先生はそんな私の表情には最後まで気付いてくれなかったようです。
そして、授業参観に来ていた母は、私が泳げない事を知っていながら、涼しい顔をしていました。母は、海育ちですから、走るのは苦手でも、泳ぎは得意だったからです。そんな意地悪な母を、私は恨みましたが、どこ吹く風でした。後で聞いたら、「練習すれば直ぐに泳げるようになると思ったからよ」と・・・・。いつもこんな調子の、お気楽というか朗らかな母でしたから。
そして、とうとうKM君と私の票が同数となって、最後の投票者に回って来ました。それが何と、女子の代表になっていたマドンナのMK子ちゃんでした。
MK子ちゃんは、勉強がとても出来ましたし、色白で、背も高い上に、大人のように行儀の良いお嬢さんでしたから、”ちょい悪”の私としては、憧れのマドンナというよりも、尊敬していたような記憶があります。そんなMK子ちゃんに、T先生がKM君と中村君どちらにしますか?聞いたのでした。
MK子ちゃんは、”う~ん”と暫く考えていたのでした。私としては、当然選んで欲しくないのですが、KM君を即座に選んでも欲しくなかったのでした。そして、MK子ちゃんは、考えた末にKM君を選んだのでした。それは、ほっとした反面、寂しさもあったのでしたが・・・。
ちなみに、それから私は内緒で猛特訓をして、プール開きまでに泳げるようになっていました。ですから、同級生達はこのプール開きの代表者選びで、私が冷や汗をかいていた事などは誰もまったく知らなかったと思います。
この時、子供の私は、この小学校というはじめての共同社会で、最初の人生の生き方を学んだのでした。それは;
一、正直に事実を述べないと、自分自身を大変な苦境に追い込む事が多々あること。
一、仮にその時には事実でなくとも、それが後日実現可能であるのならば、敢えてその事実を述べる必要が無いこと。しかし、それが出来なかった場合、大変な信用失墜となるリスクがあること。
このプール開きの代表者選びのシーンですが、その後にも時々夢に出て来て、何度か冷や汗をかきました。やはり、真実を素直に述べた方が、人生は絶対に楽なようです。しかし、実際の人生ではそう簡単に真実ばかりを言えない事も多々あるようでして・・・。
敢えて言うのならば、9年前私がまだ駆け出しであった頃、もう既に44歳で副所長などと名刺に書いてあるものですから、クライアントさん達から「先生は、もうベテランでいらっしゃるので?」と聞かれて、慌てて「いやいや、まぁ私なんかは、この業界ではまだまだ駆け出しでして。それより・・・」と上手く話を逸らせた(職業倫理上、嘘は言えませんから!)ものでしたが・・・。また、事務所の経営戦略上、”登録したばかりの新人です”とも言えませんものねぇ。クライアントさんを不安にさせてしまう場合もある訳ですし。特に、複雑な案件(在留特別許可など)であればあるほど、尚更そうゆう傾向にあるかと思います。例え、確実に処理できる自信があったとしてもです。医者や弁護士等でも、少なからずそれは同じだとは私は思うのですが・・・。
まあ、そんな小学校1年生の時の、今でも鮮明に覚えている昔々の出来事でした。