1961年、当時まだ小学校の一年生になったか、ならないか
くらいの年頃、母の実家で「裸の島」という映画の話題で、
持ちきりだった事がある。何か国際的な映画際で賞を貰い、
その映画の制作スタッフ(記録)として、母の妹である
叔母が参加していたらしいのだ。
http://blog.livedoor.jp/michikusa05/archives/51750798.html
子供であった私には、「裸の島」というその映画の題名に
何か違和感さえ感じて、一切の興味を示さなかったのであった。
つまり、つい最近まで詳しくは何も知らなかったのである。
その叔母が某特別擁護老人ホームに入所していて、
見舞いの際の会話のネタとして、遠い記憶を辿って、
何か話題は無いかとネット検索をしてて、
はじめて詳しいことを知った次第なのである。
「情けないわね。今頃になって知るなんて!」と、
27年前に既に他界している母に叱られそうである。
新藤監督の葬儀にも行けない寝たきりの叔母への、
次回見舞いに行った時、何と言えば良いのだろうか・・・。
高齢者に知人の訃報を伝えるのは、やはり辛いことである。