広田弘毅と言えば、東京裁判で絞首刑になった戦犯のうち、唯一軍人でない文官であり、外務大臣から総理大臣まで登りつめた人物として教科書にも出てくる有名人でもある。
しかし、太平洋戦争の頃の歴史については、この時代の歴史が入試問題対象外ということもあってか、殆どの日本人が広田のことを詳しくは知らないと思う。
一方で、城山三郎氏の「落日燃ゆ」という小説の世界では、広田弘毅は悲劇の宰相として軍部に抗した人間味あふれる人物として描かれていて、この小説に登場する広田弘毅のイメージを持っている方々が多いと思う。
そうゆう私も、この小説に描かれた広田弘毅のイメージを長年持ち続けて来た一人である。
しかし、どうも著者である服部龍二氏が調べ上げた広田弘毅の実像は、城山三郎氏の小説に登場していた悲劇の宰相広田弘毅像とはかなり異なるようだ。
つまり、、「満州国成立の正当化」という軍部による世論操作や対中国強硬姿勢政策に始まった潮流に、広田だけではなくマスコミなどのメディアを含めて多くの国民までもが流されてしまい、ついには国際社会の中で日本という国が孤立し、強硬姿勢を貫くという選択肢しか無くなっていたという社会風潮を作り上げしまったようなのある。
こうなると、もう誰も止めることが出来なくなって、一気に戦争に突入して行くという破滅へのレールというプロセスが出来上がってしまった当時の風潮や社会状況などが、報道機関としての報道の自由やその独立性さえをも喪失していた当時の新聞記事などから実に良く読み取れて大変興味深かった。
そうゆう意味に於いて、戦争責任が今以て曖昧なままである理由が分かったような気がしたのである。それは、日本という国の国家政策の責任者であった広田について云えば、たとえ文官であろうとも、その政策遂行機関である行政府の最高責任者であった訳であったのだから、軍部の暴走を黙認し、場合によっては擁護した以上は、その政治責任を免れることは到底出来ないことは云うまでもないのである。更には、その責任を軍部だけになすり付けてしまおうという考え方に至っては確かに無理があろうとも思えるのである。その事は、東京裁判の審理に於いて一切弁明しなかった広田自身も分かっていたことだと思うのである。
今日、戦争をまったく知らない50代の私をはじめ、終戦当時3歳であった69歳の方々を含めての若い世代の者達が、もう既に日本社会の大多数を占めている現在、日本という国家と日本人という国民が、破滅的な戦争に邁進してしまって数百万人もの人命を奪い、日本のみに留まらず近隣諸国までをも荒廃させてしまった歴史やその経緯を正しく検証し、次なる若い世代に正確にその真実を伝えることは大変重要な事であると痛感した一冊である。
戦争とは、この様な時流、潮流という狂気の中で、知らず知らずの間に突入してしまうのだという事が、実に良く分かる貴重な一冊として是非お勧めする書籍である。