行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする26年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

多くの製造業が滅びてしまったアメリカという国

2008-12-11 00:56:37 | 社会・経済

 アメリカのGM、フォード、クライスラーの3社、いわゆるビッグスリーと呼ばれる(?)自動車メーカー3社の経営が深刻な状態にあるようです。

 1950年代までのアメリカは、世界最大の製造メーカーが沢山ありました。前述した自動車メーカーの車種であったキャデラック、リンカーン、ビューイック、カマロ、ムスタングなどは日本国内でも高級車として多くの日本国民の垂涎の的でした。

 今でこそ、トヨタ、日産、ホンダ等々は、世界的な自動車メーカーにはなってはいますが、当時これらのメーカーの自動車は、アメ車と比べれば玩具のようであったのでした。まして、ホンダ技研は、まだ二輪車メーカーでしたし、トヨタ、日産にしても、到底アメリカに輸出できるような性能の自動車を作れるメーカーでは無かったのでした。

 車だけではありません。冷蔵庫、洗濯・乾燥機、掃除機、エアコン、音響機器、テレビ等々の白物家電でも日本製品は、直ぐに壊れる安物で、コンパクトであっても、その性能はアメリカ製には遠く及ばなかったのでした。

 更には、レジスターなどの計算機、印刷機などの事務機器、工作機械、ベアリング、鉄鋼製品等々、すべてに於いてアメリカ製品が優れていたのでした。

 それが、50年後の今、世界的なアメリカの製造メーカーは一体何社が残っているのでしょうか?

 軍需産業、宇宙・航空機産業と危機的な自動車メーカー3社、それにビジネスマシーンをあまり作らなくなったインターナショナル・ビジネス・マシーン社ことIBM社、そして、かつては、新日鉄も遠く及ばなかった程強大製鉄会社だったUSスチールも入るのでしょうか?。

 その代わりに台頭していた産業といえば、つい最近までウォール街で幅を効かせていた虚業である金融関係ビジネスと、今でもアメリカのエリート達が集まっている、アメリカ訴訟社会には不可欠である巨大な弁護士事務所です。このうち、金融ビジネス界の各社は、昨今、世界中の経済をぼろぼろに崩壊させてしまい、事実上米国政府の管理下に置かれてしまったのでした。

 なぜ、アメリカの製造メーカーが落ちぶれたのかというと、答えは明白です。工場などの製造現場でのノウハウの蓄積システムがアメリカの製造メーカーでは育たなかったからです。

 一方、日本では、伝統的な終身雇用制度や年功序列制度の下で、労使が一体となって、多くの製造現場の失敗経験、非効率的な製造工程の改善、驚異的な歩留まりの高さという品質管理、こういった技術の絶え間ない向上と数々の現場での経験の伝承が、何十年にも渡って行われて来た事が、数々の世界的な製造メーカーを生み出して来たのでした。

 それは、世界に通用する良い製品を作ろうという、製造現場からのボトムアップシステムが機能していたからでした。このボトムアップシステムは、いわゆる熟練した工員さん達を大切にする日本企業独特の会社構造から生まれた産物でもあったのでした。

 ところが、アメリカでは、製造現場で工員さん達が、自らの生産工程の効率化や製品品質の向上に関わることはほとんど無かったのでした。こういった業務には高学歴のエンジニアが現場向けの作業マニュアルを策定し、彼等工員達は機械の一つの部品のように、そのマニュアルの指示に従えば良いだけだったからです。どこかの外資系の外食チェーンの従業員が、今でも判を押したような、マニュアルに従って同じ受け答えをしている事は、皆さんご存じの通りです。

 また、彼等工員さん達から、こういった製造工程での改善案や製品品質の向上案を受け入れたとしても、彼等を評価し、昇進させる企業システムがなかった事も、アメリカの製造メーカーが衰退した大きな原因だったのでした。

 日本では、工員出身者でも重役になる(ホンダでは実際に起こりました!)という可能性も皆無では無いのですが、アメリカという国では、工場長になることさえもあり得なかった国だったのです。ですから、多くの工員さん達に、熟練工になったり、改善策を提案するといったモチベーションが起こる筈もなく、只単にマニュアルに従うだけの作業員に徹する事が、アメリカ製造メーカーでは当たり前の事だったからなのです。

 これでは、製品は進化しませんから、世界市場から撤退せざるを得ないのです。更に、不幸だったのは、株主の権利主張が強く、メーカーの経営者が目先の利益ばかりを追わざるを得ない事でした。アメリカの製造メーカーの経営者は、ちょっと景気後退局面に入ると、利益配当を何とか維持しようと、即効性のある工員達のレイオフや、技術社員の解雇によってその利益を確保していたのでした。しかし、そんな事をすれば、工場技術者や工員達の離職、或いは、解雇ですから、メーカーの生命線であるはずの製造現場での技術や数々のノウハウの継承、或いは、製品品質の向上案が現場で育ち、生まれる事など、到底あり得なかったでした。

 ところで、日本の世界に誇るエレクトロニクスメーカーであるSN社が、数千人のリストラをするとの発表がありました。一方で、やはり日本の世界的な家電メーカーのP社が、SY社を買収した上に、ヨーロッパの白物家電市場にも参入するとの事です。どちらの会社の決断が正しかったのか、10年後の両社の展開が楽しみです。

 ちなみに、私の予想ですが、米国型を選択したSN社は、どうなっているのかなぁ?っていう気がしています。歴史が正しければの話ですが・・・。

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雇用調整という名の安易な米国式首切り

2008-12-06 15:05:59 | 社会・経済

 少なくとも、1990年にバブルが崩壊する以前の日本では、たとえアルバイトにしろ簡単に従業員との雇用契約を打ち切るという社会風習はありませんでした。

 当時の企業は、先ずは社内の無駄を探し出し、それが業務に影響の少ないものであれば徹底的に削減することから始めました。交際費、社用タクシー代や通信費の削減、メモ用紙に至るまでの紙代等の事務経費の節約、電気代の節約やエレベーターの間引き運転などのエネルギーコストの節約等々・・・。

 企業にとって一番の財産である人材のカットは、本当に最後の最後の手段だった筈です。それは、日本の企業には、”経営者も労働者も運命共同体である”という認識が定着していたからです。ところが、1990年のバブル崩壊後、一部のお馬鹿な評論家や米国帰りのMBA的発想の管理職に感化された日本企業の経営トップが米国型経営を採り入れるようになってしまったのでした。

 年功序列という、弊害は確かにあった日本企業でしたが、この米国型システムの採用で、従業員達の企業への帰属意識や奉公精神は、ほぼ完全に消え去ってしまったのでした。それは、製造メーカーでは、企業としてのノウハウの蓄積が著しく低下するという深刻な弊害をもたらしました。

 日本企業の全部が全部こういった米国型システムを採用した企業ばかりではありませんでした。トヨタ自動車、キャノンなどは少なくとも本丸である正社員とういう従業員に対しては、こういった米国型システムを丸呑みはしませんでした。それが結果として、製造メーカーとして正しいと分かったのは、バルブ経済が崩壊して10年以上も経過した頃でした。

 企業は、こぞって旧システムへの転換を図ろうとしましたが、社員の不信感は根強く、企業への信頼関係を回復するまでには至っていませんでした。しかし、こういった各企業の姿勢が好感され、雇用不安が一掃されたからでしょうか、巷間の消費は着実に増え、諸外国からの需要も重なって各企業の業績は急速に回復し、直近の決算では史上最高益を記録する企業が続出したのでした。

 ところが、今回の世界同時不況をきっかけにして、90年代脚光を浴びていた米国型コストカッターである人員削除派が再び台頭して来たのでした。彼等は、”この先の需要収縮が明確である以上、今現在のように会社に体力がある内に、余剰人員を極力削減して来る不況に備えるべきだ!”と、熱弁をふるいはじめたのでした。それは、あのトヨタやキャノンでさえも人員削減を始めた事がきっかけでした。

 その小学生でも分かる簡単な引き算は、誰にでも分かる内容でした。しかし、過去に於ける人員削減で、従業員の士気が予想以上に低下し、最も優秀な人材から先に失った苦い経験から、できれば人員削減策は採りたくなかった経営者も多かったのでした。とはいえ、商法・会社法が米国型に変わっており、株主代表訴訟が珍しくなくなった現状からして、”ここで大幅な人員削減策を採らなければ、株主訴訟の標的になりますからご決断下さい”と人員削減派役員に迫られれば、到底断ることができなかった経営トップも多かったようです。

 ”昔であれば、ここは皆が一丸となって頑張って堪え忍ぼう!と言えたのだが・・・”そう呟き、嘆くトップは、”社員の削減は、出来れば来年・再来年に多く退職する団塊世代の自然減で対応して欲しい”そう言うのがやっとだったのです。

 来年、再来年の日本経済は一体どうなるのでしょうか?一度失敗した禁じ手を使ってしまう多くの日本企業は再び、雇用不安→消費マインドの低下→売上げ減少→企業の倒産というデフレスパイラルに自らが落ち込むという決断をしてしまいました。これも歴史の通過点なのでしょうか・・・。

 「昔々、日本という世界的な経済大国がありました・・・」と、我々の子々孫々達が学校で習うことのないようになればと思う次第です。 

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品川駅が鉄道発祥の地?

2008-12-01 10:52:00 | まち歩き

 毎日の通勤の往復で必ず通過し、東京入国管理局に申請に行くときには、必ず降車する鉄道駅が品川駅なのですが、その品川駅ホームで、先日ちょっとした発見をしました。と、いうか、正しくはカミさんに教えて貰いました。JR山手線品川駅のホームのある所に、以下のような埋め込みがあるのです。

Img_0619_2

 ご覧のように”品川駅 鉄道発祥の地”と書かれてあるではないですか!確か、鉄道は新橋、横浜間で開通したと聞いていましたたから、おや?っと思ったのですが、まさか、ご本家のJRが嘘を言うはずもなかろうと思い、その場で証拠撮影しました。ちなみに、私は、鉄道マニアなどではまったくありません。というか、鉄道などには、ぜんぜん興味の無い単なる普通のオジさんです。

 しかし、品川が鉄道発祥の地とはどうしても信じがたく、ネットで調べてみましたところ、新橋、横浜間の本営業開始の数ヶ月前に、どうも仮営業という期間があった模様で、その時の営業区間が品川、横浜(今の桜木町)間であったようです。

 ふ~ん、確かに、仮営業駅とはいえ、品川駅も鉄道発祥の地に違いはないんだぁ!と妙に納得してしまいました。もし、品川駅の山手線ホームにて乗降車される機会がありましたら、ちょっと探して見て下さいね。

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