もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

インドのカースト制度とトイレ事情に思う

2018年07月06日 | 歴史

新聞で、インドのトイレ事情の記事を読んだ。

 記事では、ユネスコの推計(針小棒大の傾向があるが)で全人口13億人のうち5億人が屋外で用を足しているとされている。

 自分が近年のインドに対して抱いていたのは、核保有国であり、数学大国であり、IT強国の道を歩んでおり、性犯罪が多発する国との印象であったが、トイレ事情には驚かされた。農村部等でトイレの普及が進まない理由がヒンズー教の教義とカースト制度にあるされ、ヒンズー教は排泄行為を不浄としてトイレを屋内に置くことを禁じ、トイレの維持・清掃作業は最下級のカーストの仕事とされているために、政府がモデル地区に整備した個別トイレも使用されないまま朽ちているとも報じられている。ヒンズー教の教義については置くとして、インドに根強く残るカースト制度とは何だろうと調べて、そう古いものではないことが判った。もともと、ヒンズー教が発展する過程で生まれた穏やかな身分別けの概念をイギリスが植民地統治(1600年代以降)の方策として運用を強化したことが発端であるらしい。少数の駐留軍で広大な地域と住民を統治するためには、一部の人間を特権階級として優遇し、彼らをして、その特権を守るために一般住民を統制させることが不可欠であったのだろう。そして各階層を世襲する人々は、所属階層の特権を守るため下部階層を虐げざるを得なかったものと解釈する。かって日本にも士農工商と称された身分制度が存在したと理解しているが、武士については鎌倉時代の御成敗式目以来の厳格な倫理観を強いられたが、その他の階層については厳格なものではなく、ある程度の流動があったとされている。武士についても江戸時代末期には御家人株の売買が行われ、明治維新後は次第に崩れていったものと理解している。しかしながら江戸時代に定着した人別に乗らない「」の差別は昭和末期まで民差別として存在していた。明治維新というドラスチックな変革を持ってしても身分制度の実質的な解消に150年かかったが、急激な変革を経験しないインドでは400年経っても厳然として残っているものと思う。

 アメリカの黒人差別も、インドのカースト制と同様400年たっても根絶していない。教義、教育によって社会に根付いた慣習を根絶するのは長時間を要するため、現在、先進国で起こっている移民への差別感情は長期間にわたり受け継がれるのではないだろうか。