産経新聞政治部記者の署名記事を読んだ。
要旨は、地方創生が思ったほどの成果を発揮しない原因の多くが、国会議員及び中央官庁の官僚の多くが都市圏の出身者又は大学以降の都市生活者によって占められているために地方の実情を皮膚感覚で捉えられていないとするものであり、1票の格差論議によって地方選出議員が減少していることにも大きな原因があると書いている。本ブログでも「1票の格差是正は都市生活者の優遇・地方生活者の冷遇に繋がる悪しき公平」と書いたが、一部にではあろうが報道の世界にも同種の意見があることに意を強くするとともに、1票の格差に対する司法判断の報道にそのような意見が盛り込まれていなかったことを不満に思うところである。折りしも西日本では死者100名を超える集中豪雨禍が伝えられているが、復旧の優先度を決める場合に当たっては、コストパフォーマンスの原則に照らして受益者の多寡が考慮される結果、都市部が優先されることになるだろう。こうして地方の限界集落は廃村となり人口の都市集中に拍車をかけることとなり、負のスパイラルはますます加速する。全国のがけ崩れ危険地域の全てに十分な防災対策を施すことと災害の復旧を同時に行えないことは不可能であることは理解できるが、これらの事業に対しては自治体の規模に応じて反比例的に国費を投入する方法を検討してはどうだろうか。経済規模の大きいすなはち都市部の復旧には自治体の努力を求め、零細自治体に対しては国費の投入割合を増やすことにより、都市生活の利便性を得るためには高負担が必要であることを国民に理解させることが、人口の地方還流を促し地方創生を早める近道ではないだろうか。
ここまで書いて、ピョンヤン(平壌)を思い出した。ピョンヤンに住むためには金銭的なものはともかく、首領様に忠誠を誓い粛清の事態すら覚悟しなければならないという、命すら担保にする必要があると聞いているが、ピョンヤン方式こそ地方が枯れることを防ぐ最良の方法であるかもしれない。そうなれば、自分は都市に生活する資格を失うのであるが。