もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

佐藤優氏の主張を読んで

2018年07月18日 | 与党

 産経新聞で、佐藤優氏の「宗教的安全保障」と題する主張を読んだ。

 巷間に流布される同氏の信条・言動とは相容れない自分であるが、本記事に書かれた宗教の持つ狂気についての意見には同意できるものである。プロテスタントである同氏はオーム真理教のみならず全ての宗教は狂気を内包しており、中学校社会で宗教改革者と教えられたマルチン・ルターでさえ、魂の救済のための殺人は容認できるとしているそうである。改めてルターの事績を拾い読みすると、彼の主張したところは宗教(教義)改革ではなく単なる協会の経営改革であったことが理解できた。それはさておき、同氏はその狂気が方向性を与えられた時に中世の宗教戦争があり、現代のイスラム国があると説き、推論を加えれることを許していただければ現在進行形である移民排斥等のナショナリズムも狂気を持つことにおいては宗教と同じ危険性を持っていると感じているもののようである。氏の主張の最大の眼目は、宗教の持つ危険性の本質を追求することが重要ではなく、危険性を持つ事実と回避の方法を教育してテロの脅威に対処すべきとしていることである。麻原彰晃の死刑執行に対して「真実が闇に消えた」と主張する識者がいるが、神話時代以降、幾度も繰り返された宗教の狂気に関して真実を読み解くことは不可能であり、対処療法しかないことを直視するしか道は無いように改めて思った次第である。聖母マリアの処女懐胎は生理学的には不可能と考える人がいる一方、キリスト者にとっては真実であり、人知を超えた絶対神が示した摂理であり奇跡である。人知を超えた不可思議の真実(一部の人にとって)があるからこそ、宗教が存在し続けるものと思う。

 「宗教的安全保障」とはソ連崩壊後の混乱期のロシアで生まれた概念であり、幼児期~青年期に宗教の危険性を教育して、宗教や宗教的危険性に耐性を付けさせることであると結ばれている。