もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

イージスアショア代替案を考える

2020年09月25日 | 防衛

 イージスアショア配備計画の見直しに伴う代替案が検討されている。

 防衛省と自公で検討されているのは、イージス護衛艦の増強、イージスアショア専用護衛艦の建造、商船の転用、海上リグの建設の4案であるが、イージス護衛艦の増強については人員的に運用が困難であることと、イージスアショア解約に対する違約金が発生することから早々に断念されて、現在は他の3案を軸に検討していると報じられている
 3案のいずれも一長一短があり困難な選択になると思われるが、自分は海上リグと商船の転用を融合した案が適当ではないだろうかと考える。
 専用護衛艦の建造と商船の転用は、移動可能でイージス艦よりは乗員が削減できる反面、個艦防御能力は脆弱とならざるを得ないとともに機関・船体の保守のたの入渠修理が必要となるために運用できる期間が制約を受けるという点は致命的であるように思う。
 海上リグについては移動できないという弱点はあるが、PAC3の常駐や防雷網によってある程度の経空防御や魚雷防御機能を持つことが可能であると考える。しかしながら、イージスアショアに特化したリグについては建造実績がないことから付帯設備を含めて多くの検討が必要であり、実現に長期間を要するものと考える。
 そこで考えられるのは商船を活用した海上リグである、一種のメガフロート構想であるが、メガフロートの中心に1・2隻のタンカー(推進機関を撤去した船体のみ)を置いて、甲板にイージスシステムとPAC3を装備、船内に動力や居住スペースを設けるものである。タンカーの船体であればスペースは十分であり、将来起こり得る拡張要求にも耐えることができるし、鉄板であるので改装工事も簡単である。タンカーを取り巻く浮体の構造や波浪の影響を局限できる接合方法、巨大な施設の固定については、既に横須賀沖のメガフロートで得た建造・係留・運用実績が活用できるとともに、潜水艦からの雷撃防御も期待できると思う。中国が西沙諸島に建設した人工島は不沈ミサイル基地であるが、衛星が飛び交う現在では基地を隠す努力よりも、強力で常続的に稼働できる施設の方が効果があると考えているものと思う。その点からいえば人工島がベストであるが、関空整備で直面した工期・地盤・海洋環境・漁業補償の諸問題に関しても、よりハードルの低いメガフロート+商船活用策は有効ではなかろうか。

 我々からすると河野防衛相がイージスアショア配備計画断念を発表したのは唐突過ぎるようにも思えたが、案の定防衛省には代替案すら準備しないままの発表であったことが露呈した。河野防衛相は菅内閣では行革大臣に転身して、早くも各省庁に対してハンコの撤廃を要請した。問題点にマッチで火をつけ、騒ぎが大きくなったところで火消しに回って点数(利益)を稼ぐ、マッチポンプと称される政治家はこれまでも存在したが、重大な案件に対してマッチで放火するがポンプを放棄するマッチオンリーの政治家は、河野大臣を除けが「最低でも県外」で名高い鳩山由紀夫氏であろう。かねてから、鳩山家(一郎・由紀夫氏)と河野家(一郎・洋平・太郎氏)は国政の枢密には参加させるべきではないと主張してきた。今に禍根を残す日ソ共同宣言(鳩山一郎・河野一郎氏)、慰安婦官房長官談話(洋平氏)、辺野古移設(由紀夫氏)等々で国威を阻害してきたが、共通しているのはスタンドプレー・マッチオンリーの姿勢である。河野太郎氏については防衛・行政にまで禍根を残しつつあるように思えて不安であるが、ポスト菅総理の有力候補とも目されているらしいが如何に。


性風俗業は正業か否か

2020年09月24日 | 社会・政治問題

 デリバリーヘルス事業者がコロナ持続化給付金の支払いを求めて提訴したことが報じられた。

 コロナ対策として国が支給する持続化給付金や家賃支援給付金の対象から、性風俗事業者が除外されていることを始めて知ったが、訴えは「給付金は社会保障であり、性風俗業者を除外するのは差別である」とするものであるが、性風俗業を支援の対象から外すことは、5月の衆院予算委員会で経産相が「社会通念上、公的支援の対象とするには国民の理解が得られにくい」と説明して、決定されたものであるらしい。
 提訴の理非は司法が判断することになるが、野次馬としては興味あるテーマである。
 コロナ関連の公的支援を、国民の生命を守るための福祉的補償と見れば法の平等に従って性風俗業者と雖も除外すべきではないだろうし、経済政策と見るならば性風俗産業の存続に国家が手を貸す行為は外聞の悪いものであるようにも思える。
 現在では職業に貴賤は無いとされているが、明治以前については「往来物」に記載されていない職業は、社会からは正業として受け入れられなかったように思う。性風俗業が商売往来に記載されていたかどうかは定かでないが、お妾さん・遊郭・出会い茶屋・混浴・・等々、性に対するタブーが比較的緩やかで、性風俗通いが大目に見られたことから、性風俗業も市民権を得ていたのではないだろうか。
 商売往来という言葉を知ったのは、随分昔の落語か講談で、風流に現を抜かす若旦那に対して小言幸兵衛が「商売往来に載っている正業に就く」ことを説く場面であった。また、芸能人の不祥事に対して、という言葉を使用する老人ものいたので、商売往来とについて勉強した。
 ウィキペディアによると、「商売往来とは、江戸時代に流布した往来物のひとつで、商業に必要な語彙やそれに関する知識、そして商人の心構えを説いた初等教科書」とされており、平安時代後期に公家の書簡を纏めた文例集に由来するとされていた。その後多くの往来物が作られたが、江戸時代に入ると、農業(田舎往来、農業往来、百姓往来)、商業(商売往来、問屋往来、呉服往来、万祥廻船往来)、歴史(武家往来)、のように士農工商の身分に合わせた知識や慣習を盛り込んだものの他にも、習字用の「字尽し」、地理・歴史・道徳的な要素を盛り込んだものなど、多彩な形式の往来物が生まれ、特に寺子屋の教材として作られた、日常生活に必要な実用知識や礼儀作法を記した往来物は、識字率(欧米でも30%程度、日本50~70%)を高めるなど近世までの日本の高度な庶民教育を支える原動力となったものとして、日本の教育史上高く評価されているとされていので、現在では、まだ字の読めない幼児に与えて字を覚える動機付けとする各種図鑑のような役割であったのかも知れない。
 については、江戸時代の歌舞伎が京都四条河原で小屋掛け興行されていたことから歌舞伎役者の蔑称として生まれ、次第に人気商売全般に拡大し更には屠畜業種なども含まれるようになったとされている。

 現在の正業か・正業でない職業かが、何を指して、何の基準によるものか曖昧であるが、明治以前(大戦以前かも)にあっては「正業」の概念が何となく定着していたのだろう。そこには職業による差別や人別に因る差別が窺えるものの、市民生活を平穏に営む上での必然から生まれた簿外の基準と見ることもできる。果たして現在の性風俗業は、公的支援の対象であるか否か、正業か否か、裁判所も大変な判断を強いられるものと同情を禁じ得ない。

 


憲法改正に思う

2020年09月23日 | 憲法

憲法改正についてのご意見を賜った。

 最初の意見は、「緊急の事態が起きた場合には、憲法や法律がどうのこうのよりも、現実に即応した対処をやっていくのではないか」という意見ですが、憲法や法律に規定されていない行動を「誰が命じて」「誰が従事する」のかを考えれば、現実的でないことは明らかと考えます。
 「誰が命じて」について考えます。ダッカ事件でテロリストを「超法規的処置」で釈放したことがありましたが、国の命運を「指導者が採る超法規的処置」に委ね・期待することは極めて危険であると考えます。法治国家とは名ばかりの中国や北朝鮮のような独裁国家であれば許されるでしょうが、指導者にそれほどの大権を無条件で与えている国は世界に存在しないと思います。憲法とは「全ての事柄が憲法の範囲内で・憲法の手続きによって行われる」と内外に宣言するものと考えますので、武力行使の判断を超法規的に行うことは、国際的に「何をするか解らぬ無法国家」と看做され、国民も「有事の様相と対応」が想像できない不安定な状態に置かれるものと思います。我々は、大東亜戦争の教訓からシビリアンコントロールで軍人の暴走を抑止する概念を学び・実践してきましたが、武力行使(開戦)の大権を総理大臣の超法規的処置に与えることは、政治家の暴走に繋がる危険性を持つものと考えます。
 次に「誰が従事するのか」という問題ですが、出動させられる自衛官(国民です)も、憲法に記載されていない任務に赴き、記載されていない犠牲を強いられることになります。さらには、現行憲法の解釈として自衛隊は軍隊ではないという主張を持ち続けるならば、自衛官はジュネーブ条約で軍人に与えられている軍人捕虜に対する保護や戦闘による殺傷から免責されるという権利が受けられないことも予想されます。意見を寄せられた方の脳裏には、欧州戦線でのレジスタンスやベトコンのような抵抗を思い浮かべているかも知れませんが、それらと根本的に異なるのは、国内には武器が無く、武器の取り扱いに習熟した国民もいないことです。レジスタンスが機能したのは欧州全土に第一次大戦時の武器や生き残り軍人がいたからで、ベトコンは北ベトナムの全面支援を受けていたからです。このことから、自衛官以外の国民が武器を取って侵略者に立ち向かうことなどできない以上、その任を自衛隊に依存するしかなく、自衛隊を国軍として内外に宣言することが必要と考えます。
 以上の点から、「武力(軍隊)の保持」「武力の行使」は憲法に規定する必要があると考えます。

 次いで「憲法9条を変えるといずれは徴兵制が敷かれて、孫たちが戦場に連れて行かれ、20歳前後の、高校や大学で学んだり青春を謳歌する期間を兵役に変えるということはやり過ぎではないか」という意見も頂きました。
 これに対しては、「近代兵器を使いこなすには、少なくとも数か月間以上の教育が必要です。さらに現在の武力紛争の大半は急激に進行しており、相手は、日本が徴兵に関する法律を作り、適格者を選抜し、招集し、訓練する余裕など与えてくれないので、緊急時の徴兵自体は無意味です。憲法の改正と徴兵制は別の問題で、両者を結びつけるのは正しくないと考えます。自衛のための戦争もせずに、お孫さんがウイグル族のように中国語を強制され、教化のために収容所に収容されても良いとお考えであれば、全ての戦争を否定して戦力を放棄する道を選ばれることも自由であろうと考えますが、お孫さんが、侵略者と戦うか?侵略者に隷属するか?を選択できる道を残すことが我々世代の責任ではないでしょうか。なお、若者の道徳観や一体感喪失を懸念して、フランス・ドイツ・スゥ―デンでは、限られた人数を選抜して短期間団体生活させるが軍事教育は行わないという一種の徴兵制が復活しています。」とお返ししましたが、さらに付け加えるならば、憲法9条が改正されない場合であっても自衛官の慢性的な人員不足を補うために、補給部門や経理部門等の後方部門に徴兵制を導入し、それによって得た人員を正面兵力に転換する政策は議論される必要があると思います。核武装の議論にすら応じないという主張が平和主義とされていますが、核武装・徴兵制などについてもタブーを設けずに、全てのテーマで議論を行うことが議員・立法府の責任であろうとも考えます。
 また、「20歳前後の青春謳歌・・」については、20歳前後の隊員が災害派遣に、海賊対処に、教育訓練に・・・、黙々と励んでいる現状を忘れておられるのではないでしょうか。自衛官のみならず、警察官・海上保安官も同様に国の安全に寄与しています。彼等同世代の支えがあってこそ「青春の謳歌・・・」が成り立っている現実も考慮して頂きたいと願うところです。

 憲法9条以外にも形骸化しているものがあります。
 それは、高等学校の無償化と私学助成です。憲法26条には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と規定しています。無償とされる義務教育は教育基本法で、小・中学校と規定されているために高校教育を無償とするのは明らかに憲法違反だろうと考えます。高校教育を無償化する際には、高校進学率の高さから高校教育を義務教育と見做して無償化に踏み切りましたが、本来なら憲法を改正して「義務教育」の文言を削るか、教育基本法を改正して高等学校も義務教育と規定すべき案件です。さらには、高校教育無償化の延長として、大学までも無償化を要求する意見がありますが、憲法の拡大解釈が際限のないモンスターに成長することを示しているように感じます。大学への私学助成も同じことで、現行憲法の死守を標榜する方々は、最も憲法を踏みにじっている人とも云えるように感じます。

 以上、所信を書き連ねましたが、国家の基本は憲法であり、憲法に違反する制度が必要な事態になったら「憲法を改正」するか、「制度をあきらめるか」の白黒をはっきりさせることが法治国家として当然であろうと考えます。国防をどう考えるか、徴兵をどう考えるか、教育をどうするか、憲法はそのままに解釈を変更して国家を運営する悪弊は、我々世代で終止符を打つ必要があるように考えます。この状態が続くならば、イスラムの教義が解釈によっていつしかテロ容認・礼賛に変化したように、日本憲法教も為政者の都合に合わせて際限なく膨張・変化するのではないだろうかと案ずるところです。


陸自電子戦司令部の設置構想

2020年09月21日 | 自衛隊

 防衛省が陸上総隊直轄の電子戦部隊を新設して、司令部を朝霞駐屯地に整備する方向で予算要求することが報じられた。

 整備する部隊の配置や能力の詳細は当然のことながら公表されないが、現在熊本と北海道にあるとされる電子戦部隊を統合運用するものと推測されている。
 整備は、北朝鮮のミサイル対処、尖閣諸島を始めとする島嶼防衛の一環とする計画であろうが、いかにも遅いと云わざるを得ない。
 電子戦の目的は武力行使に先立って、敵の警戒監視の目をつぶすことと、指揮管制を無力化することであり、さらには敵の電子攻撃を無力化、又は、電子攻撃を凌ぐことであると思う。そのためには日常で蓄積した敵の電子情報を活用することが不可欠であることから情報収集部隊と相互にリアルタイムに補完し合う必要があるとともに、正面兵力に対して警報を伝達する必要がある。
 この様相に立って自衛隊の兵力整備を眺めると、構想に一貫性が無いように思われる。敵の電子線攻撃は、先ず空自のサイトや艦艇に向けられるであろうが、それらに対して北海道・熊本・朝霞に本拠を持つ陸自電子戦部隊はどのように対処するのだろうか。勿論、陸自の電子戦器材は移動式・車載式で整備されるのだろうが、能力的には局地対処が精一杯でPAC3防御くらいしか期待できないように思える。朝霞の部隊は首都圏(政府機能)防御が主任務と思われるので、成田や羽田は防御できたとしても、関空・千歳・福岡空港くらいは考慮する必要があるのではないだろうか。
 また、八重山駐屯地整備には電子戦が考慮されているのだろうか?。イージスアショアや代替のミサイル防衛構想とは軌を一にしているのだろうか?。電子情報の蓄積・アップデートについても常続的に尖閣水域で活動している巡視船や海空の監視飛行で収集した電子情報との関係はどうなっているのだろうか?。等々、多くの疑問点が湧く。

 陸海空3自衛隊の統合運用が叫ばれて久しいが、予算・人員の壁からであろうか兵力整備については、縦割りで硬直化しているのではないだろうかと懸念される。軍事情報については情報本部に集約して一元化が図られているが、軍事情報と密接にリンクする電子戦であれば、司令部は情報本部と同様に防衛省直轄の機関とすべきではないだろうか。これまでの電子線は、軍事目標の無力化であったが、近年は原発・空港・鉄道等にまで対象が拡大しており、現に成田空港では航空管制のための電波が妨害されることが起きていることを思えば、政府の危機管理センターの一部であってもおかしくないように思う。
 素人の杞憂であろうが、兵力整備には一貫した思想を以て取り組んで欲しいと願うところであり、そのためには整備計画策定の過程に制服(統合幕僚会議)が積極的に関与できる仕組みが必要であるように思える。


駆逐艦「雪風」と特年兵に思う

2020年09月20日 | 歴史

 昨日のNHKの番組で帝国海軍「雪風」が紹介された。

 番組は、帝国海軍で随一の「幸運な艦」と称された雪風の軌跡とともに、乗艦した兵曹の述懐を基に構成されていたが、近世の反戦・お涙頂戴の筋立てではなく淡々と事実を追う構成となっていた。ご覧になった方も多いと思うので詳細は置くとして、紹介したいのは乗艦した兵曹が「海軍特別年少兵」であったことである。
 帝国海軍では、音響判別能力を要求される水測(ソーナ)員と電信員や、航空機操縦員には早い時期からの教育が有効で、かつ教育に長期間を要するという理由から、16歳以上の志願兵を年少兵として採用していた。しかしながら、戦争の長期化に伴って、操縦・水測・電信兵以外にも兵員の補充所要が増大したために、機関兵を含む多くの職域で採用年齢を最終的には14歳以上に引き下げた特別年少兵(通称「特年兵」)導入に踏み切った。数え年14歳と云えば満年齢では13歳であり、現在では中学1・2年生に該当すると思うが、そんな世代に対しても戦死傷が当然に予想される選択をさせざるを得なかった時代を悪と切り捨てるのは簡単であるが、国を守るために志願した彼等の心情は切り捨てるべきではないように思う。現に番組に登場した特年兵は、非情とも云える選択を求めた帝国を呪うのでも無く、戦闘の悲惨さには一部触れるものの特年兵としての矜持を持ち続けているように感じた。
 なお、番組に登場した特年兵の口述を女性ライターが編纂した著書も存在するが、口述内容を恣意的に取捨・増幅した感が露骨で、彼の人生観と人間像を歪め・冒涜しているように感じる。そこには、20歳未満を未成熟と規定して少年法で保護する現在の尺度で往時を観るという悪しき歴史観が働いているように感じる。閑話休題。
 雪風は陽炎型駆逐艦の8番艦として佐世保海軍工廠で建造され1940(昭和15)年)1月に就役した。大東亜戦争に於いては開戦劈頭の南方攻略作戦を皮切りに、ミッドウェー・ソロモン・スラバヤ沖・ガダルカナルと多くの作戦に参加し被害を受けたものの奇跡的に沈没を免れ、連合艦隊掉尾の沖縄作戦では大和の終焉を見届けている。
 終戦後は復員・引揚げ業務に従事した後に、1947年に戦時賠償艦として中華民国(台湾)に引き渡され「丹陽」と改名された。引き渡しに際しても「敗戦国の軍艦で斯くも見事に整備された艦を見た事が無い。まさに驚異である」と立ち会った各国の高級軍人が高く評価したとされている。
 「丹陽」となった後も1970年(艦齢30年)に解体されるまで「幸運の雪風」であり続け、舵輪と錨は江田島の教育参考館に、スクリューは台湾の海軍軍官学校に展示されているとされている。

 自分が最初に乗艦した護衛艦では軍歴を持つ人も多く、艦長は海兵、先任伍長(海曹士の最上級者)は予科練出身の天山艦攻操縦員、機械員長は特年兵出身者であった。この人々は総じて温厚で日常荒い言葉を吐くこともなかったが、卑劣な振る舞いに対しては容赦無かった。また、海難者を救助した際の対処は実戦でしか体得できないもので、まさに先達であったように記憶している。