一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『ほんとうの憲法: 戦後日本憲法学批判』

2018-12-30 | 乱読日記

問題提起としては面白い。ただ「憲法学批判」ではあるが「憲法学」の側と議論の土俵がすりあってなさそう。 

筆者が指摘する「憲法学者コミュニティの知的閉塞」という批判は幾分かは当たっているようにも思うが、憲法学者の側からの反論を封じるオールマイティなカードになっているので、結局、川の両岸から石を投げ合うことになる。
またそれが今の憲法改正議論の置かれている状況と似ているところが残念。


憲法学をめぐる指摘として特に面白かったのは以下の部分

 戦前の日本において、美濃部達吉の憲法学は、エリート層の国家運営を正当化する「密教」の論理を提供していた。しかしその憲法学は、「顕教」としての国体論者たちの大衆扇動によって、排撃された。敗戦の「革命」をへた後、戦後に再生をはかった憲法学は、今度は国家体制の「表」の部分の看板を掲げる役割を担った。そして「裏」が「表」を浸食しないように「抵抗」をし続ける機能を果たすことになった。
 この仕組みが最も安定しているように見えたのは、冷戦時代、特に高度経済成長以降の時代である。軽武装・経済成長を推進する国家政策と、「抵抗の憲法学」は、奇妙ではあるが絶妙の組み合わせを持った。(中略)
 冷戦終結後の四半世紀の間、「戦後日本の国体」が崩壊する兆しは見られない。他方、冷戦時代と全く同じやり方で「戦後日本の国体」が維持されるという幻想の非現実性は強く意識されることになった。

著者が不満なのは、日本国憲法には改正の手続きが定められているにもかかわらず、改正の議論をするときに憲法学者からは現行憲法の解釈論以上のものが出てこない--とすると結局ほとんどの改憲案に原理的に反対することになる--という部分にあるのではないかと思う。
ある改正案に対して、そう変えることがどのような影響を及ぼすことになるのか、ということをニュートラルに提示するのも憲法学者の大事な役目のように思うのだが。

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『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』

2018-12-30 | 乱読日記

「戦争調査会」は1945年11月、幣原喜重郎内閣が日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとした国家プロジェクト。この会議の内容からGHQによって1年弱で廃止されるまでの経緯とその意味を問う。

日本は結果的にはうまく敗戦後の世界に適応して今日に至っているわけだが、歴史の検証となるとすぐに党派性の議論になってしまい、結局過去を検証し将来に生かすことができていないのは残念。
学校教育でも、日中戦争から第二次世界大戦ところは時間切れなのか政治的配慮なのか、ほとんど触れられていない。

あとがきにある、著者のこの主張は重い。

 ・・・戦争調査会の杜氏と今とでは史料状況が格段に異なる。史料状況の飛躍的な改善によて、研究は進展している。しかし先行研究に対する独自性の主張が行き過ぎて、枝葉末節の史料実証主義に陥っている。歴史研究者は書店に溢れる怪しい昭和史本を冷笑する。問題はそのような本が売れる日本の社会状況よりも、なぜ研究の成果が広く共有されないかにある。
 戦争調査会の目的は戦争防止と平和な新国家の建設だった。戦争防止と平和な新国家の建設は、敗戦直後の日本人の誰もが希求したにちがいない。戦争調査会の調査は、研究のための研究ではなかった。困難な状況のなかでも、八方手を尽くして、資料を集め調査をつづけた。戦争調査会を突き動かしていたのは、社会からの差し迫った求めだった。
 今問われるべきは歴史研究の社会的責任である。一次史料の発掘と新しい歴史解釈の目的は、先行研究に対するわずかな優位性を主張するのではなく、社会の求めに応じて、あるいは社会に向かって、歴史理解の指針を示すことでなくてはならない。戦争調査会に学ぶべきは、社会に役立つ歴史研究の重要性である。

★3



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『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』

2018-12-30 | 乱読日記
兵隊、特に現場の一兵卒にはコストをかけない、という意識は、現在の非正規労働や外国人技能実習制度についての議論につながるものがあるのではないかと感じた。

戦争末期になってくると、徴兵制度を維持するために合格のハードルを下げ、体力に劣る新兵を送り出すようになる。ろくな訓練もされない新兵は現地で古参兵のストレス発散の対象にされ、不十分な装備・栄養状態・医療体制のなかで無駄死にしていくさまが、史料に基づいて描かれている。

現代から見れば、まともに戦争を遂行できる人員・物資体制ではなくなっているにもかかわらず、戦争継続のためだけに人を送り続けていたことに戦慄を覚える。

そのような現場、またはそうなる可能性の高い現場は、今もあるのかもしれない。

★4

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