一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『中小企業買収の法務』

2018-12-31 | 乱読日記
本年最後はこの本。

この手の解説書は、網羅的・体系的にしようとして大部になってしまったり、書きやすいAだけまとめたQ&A本だったりすることが多いが、本書は中小規模の企業買収にしぼったうえで、さらに「事業承継型M&A」と「ベンチャー企業M&A」に分けて法務上の論点を実戦的に解説している。

論点も実務で直面するポイントについて具体的な対応策まで含めて解説するとともに、法律論だけでなく当事者の意思決定プロセスの与える影響まで言及があり、法務部員の実務書としてとても有益だと思う。

また、参考文献が豊富に紹介されているとともにけっこう踏み込んでいる解説や、「あるある」話のコラムなども面白い。

法務を離れた身にとっても、昔を思い出しつつ、読み物としても面白かった。

(知り合いバイアス抜きにしても)良書だと思うし、ここまで手の内を見せていいのかと逆に心配なくらいである。

★5

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『はじめての親鸞』

2018-12-31 | 乱読日記

墓のこととかいろいろ考えるにあたって、まずは浄土真宗をすこしはかじろうと入門編として。

以下はメモ。

 親鸞は京都で九十歳の生涯を終えました。生涯を終える時の言葉として有名なのが「それがし閉眼せば賀茂河にいれて魚に与ふべし」という言葉ですね。
 自分が死んだら、遺体は葬式などせずに鴨川の水に流して魚の餌にせよ、というのです。でも実際にはそうはいかなかったことは、御存知の通りです。 

 親鸞の場合も、やはり川に流してはもらえなかった。遺骨は分配されて、それをもとにやがて大谷に親鸞の墓が作られ、大谷廟堂となり、二代三代と時代が移っていく中でそこに寺ができ、全国の信州の門徒の中心になっていった歴史があります。

 その人の心が安らぎ、今日一日を幸せに生きられる、そのために喜捨をする。布施と心の安らぎと、そういうやりとりが寺と人々の本来の関係であり、そこから葬式仏教と呼ばれる現代の寺のあり様への疑問も出てくるのでしょうが、かと言って、ブッダの頃の原点に帰ると、それは大変なことになるでしょう。
 原始キリスト教の時代から中世、さらには現代における教会というものを考え併せると、やはり、宗教とはそうして変質していくものなのかもしれません。

 親鸞はこう言った、ああ言ったなどとこだわるばかりで、親鸞の思想を固定してしまい、決めてしまうのは大きな間違いだと思います。生きた形で、揺れ動く、そういう親鸞の思想を私たちは捉えなくてはならないと思うのです。

今の寺は自分にとっても他の親戚にとっても信仰の中心でもないところが問題なんだよなぁ。

★3 

 

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