昨日に引き続きNHK BS世界のドキュメンタリー
このシリーズは秀作が多く、タイトルだけで削除する気にはなれずにハードディスクに録画した番組がたまってしまっていて、深夜に見ることになり、睡眠不足の原因です。
(削除するにも我が家のレコーダーはパソコンみたいに画面で選択して一括消去できないのでめんどくさいというのもあり)
昨日見たのが最愛の敵 カダフィ
1969年のクーデター成功から2007年の国際社会復帰までを映像資料や関係者の証言で追ったものです。
カダフィ大佐は1969年にクーデターに成功して以降今年まで42年間リビアの指導者の地位にあり、そういう超長期政権からは強固な独裁政権だったという印象を持っていたのですが、国際情勢の変転の中で苦労の連続だったことがわかります。
革命当初は石油利権を餌に欧米諸国との関係で主導権を握り、購入した武器で国内の反対派を弾圧する一方で、エジプトのナセル大統領の後継者としてアラブ諸国の旗頭をもって任じていたのですが、その戦略がうまくいっていたのは最初の10年。
1979年にエジプト・イスラエル間で平和条約が締結されその目算が狂うと、今度は冷戦下で旧ソ連に接近する一方で、反イスラエルのテロリストを支援したりパンナム機爆破など親イスラエル国家と対立姿勢を前面に出し各地でテロ行為を行ないます。
ところがまた10年後、ソ連がゴルバチョフ政権下で冷戦が終結すると、後ろ盾を失ったリビアはテロ支援国家として国連から経済制裁を受けるようになってしまいます。
するとカダフィは石油利権を餌にアメリカと接近し、パンナム機爆破犯を引き渡して裁判を認め、遺族補償にも同意と急展開し、1999年に国連の経済制裁決議が解除にこぎつけます。
つぎにアメリカの制裁解除を狙ってアルカイダなどのイスラム過激派の情報をアメリカに提供します。当時リビア国内ではアルカイダの反政府活動が盛んで、リビア情報部はアルカイダの情報を持っていた一方で、アメリカはノーマークで、これでアルカイダの情報を得ることができていたというのは皮肉な感じもします。
さらに911以後のアメリカの「テロとの戦い」を怖れたリビアは自ら大量破壊兵器の廃棄を申し出(欧米はこれも全然念頭になかったらしい)、またしても石油利権や武器購入をテコに欧米との関係修復に乗り出します。
2011年初頭の作品なのでここまでで終わっていますが、ふりかえってみると、約40年の独裁政権でも10年ごとにピンチが訪れ、それをどうにか乗り切っていたことがわかります。
40年間ふんぞり返っていたと思ってたらけっこう苦労しているんだなと思ったのですが、こういう政権維持の努力を「楽じゃない」と考えるようでは独裁者にはなれないということですねw
アメリカが自分の意のままになる独裁者を"our son of a bitch"と言いながら使っていたことは以前ふれましたが、カダフィもほとんどの時期国際社会で"son of a bitch"と非難を浴びながらも、その時々の状況に応じて常に"somebody's son of a bitch"なりつつしのいでいたことがわかります。
ただ、カダフィは国民にとっては一貫して単なる"son of a bitch"だったわけで、そこを政策転換することは自分の存在を否定することになるので最後までできずに、こういう結末を迎えたということなんでしょう。
このシリーズは秀作が多く、タイトルだけで削除する気にはなれずにハードディスクに録画した番組がたまってしまっていて、深夜に見ることになり、睡眠不足の原因です。
(削除するにも我が家のレコーダーはパソコンみたいに画面で選択して一括消去できないのでめんどくさいというのもあり)
昨日見たのが最愛の敵 カダフィ
1969年のクーデター成功から2007年の国際社会復帰までを映像資料や関係者の証言で追ったものです。
カダフィ大佐は1969年にクーデターに成功して以降今年まで42年間リビアの指導者の地位にあり、そういう超長期政権からは強固な独裁政権だったという印象を持っていたのですが、国際情勢の変転の中で苦労の連続だったことがわかります。
革命当初は石油利権を餌に欧米諸国との関係で主導権を握り、購入した武器で国内の反対派を弾圧する一方で、エジプトのナセル大統領の後継者としてアラブ諸国の旗頭をもって任じていたのですが、その戦略がうまくいっていたのは最初の10年。
1979年にエジプト・イスラエル間で平和条約が締結されその目算が狂うと、今度は冷戦下で旧ソ連に接近する一方で、反イスラエルのテロリストを支援したりパンナム機爆破など親イスラエル国家と対立姿勢を前面に出し各地でテロ行為を行ないます。
ところがまた10年後、ソ連がゴルバチョフ政権下で冷戦が終結すると、後ろ盾を失ったリビアはテロ支援国家として国連から経済制裁を受けるようになってしまいます。
するとカダフィは石油利権を餌にアメリカと接近し、パンナム機爆破犯を引き渡して裁判を認め、遺族補償にも同意と急展開し、1999年に国連の経済制裁決議が解除にこぎつけます。
つぎにアメリカの制裁解除を狙ってアルカイダなどのイスラム過激派の情報をアメリカに提供します。当時リビア国内ではアルカイダの反政府活動が盛んで、リビア情報部はアルカイダの情報を持っていた一方で、アメリカはノーマークで、これでアルカイダの情報を得ることができていたというのは皮肉な感じもします。
さらに911以後のアメリカの「テロとの戦い」を怖れたリビアは自ら大量破壊兵器の廃棄を申し出(欧米はこれも全然念頭になかったらしい)、またしても石油利権や武器購入をテコに欧米との関係修復に乗り出します。
2011年初頭の作品なのでここまでで終わっていますが、ふりかえってみると、約40年の独裁政権でも10年ごとにピンチが訪れ、それをどうにか乗り切っていたことがわかります。
40年間ふんぞり返っていたと思ってたらけっこう苦労しているんだなと思ったのですが、こういう政権維持の努力を「楽じゃない」と考えるようでは独裁者にはなれないということですねw
アメリカが自分の意のままになる独裁者を"our son of a bitch"と言いながら使っていたことは以前ふれましたが、カダフィもほとんどの時期国際社会で"son of a bitch"と非難を浴びながらも、その時々の状況に応じて常に"somebody's son of a bitch"なりつつしのいでいたことがわかります。
ただ、カダフィは国民にとっては一貫して単なる"son of a bitch"だったわけで、そこを政策転換することは自分の存在を否定することになるので最後までできずに、こういう結末を迎えたということなんでしょう。