一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

半原発

2011-07-17 | 原発事故・節電・原発問題

自分自身は原発については反対か推進か意見が定まっていない。

原発をいきなりなくすのは現実的でないと思うが安全対策については再検証したほうがいいとは思う。
また、今までの原発神話を前提にした地元自治体に運転再開の意思決定を委ねるという仕組みや発電量に比例する補助金というのも、リスクに見合った、そして責任の所在を明確にした合理的なものにしたほうがいいと思う。
一方で再生可能エネルギーによる発電を増やしていくのも必要だと思う。

という、まあありきたりな考え。


一番の理由は、推進派の意見も反対派の意見も、どうも腹に落ちてこないこと。


推進派、たとえば経団連的な主張-電気の安定供給がなければ製造業は成り立たないし、海外移転・国内の空洞化が進む-など。

海外移転云々は円高のときにも言われているし(*)、海外移転する企業はとっととしている。でなければ「人材のグローバル化」などと言わないはず。
(* ちなみに輸出入でも円建て取引が進んでいるし、輸入はドル建てであれば円高はかえって企業収益にプラスなのでこの円高議論ももう少し精査したほうがいいと思う)

それに、電気の安定供給というのは震災の前から経営の重要課題だったわけで、実際大企業では新規参入の電気事業者(PPS:特定規模電気事業者)と契約しているところも多い。(リスク分散というよりコスト面のメリットが大きかったのかもしれないが)
そして今回PPSからの供給を受けている大規模事業所もなぜか経産省の電気使用制限の対象になっているが、それに経団連や大企業は表立って異議を唱える様子もない(さらに計画停電のときに東電の送電網が使えず、せっかく買ったPPS電力を使えなかったことについても文句-送電発電の分離論-が出た様子はない)。

また東電の安定供給を信用していたという経営判断があったのであれば、今回の自体は「想定外」ということになるが、もう一度原発に回帰するのであれば安全性の確保についての需要者側としての要求を出すのが普通である。

この辺をおいて原発推進といっても、日本経済というよりは「お仲間」意識を優先していると見られかねない。


一方で、反原発派も、「原発は危険だからなくせ派」と「再生可能エネルギー推進派」の間の温度差があるように感じる。後者の専門家は技術的なハードルを意識しているのに対し、前者から来ている人はその点を楽観視、または当然乗り越えるべきハードルとして議論をしているように思える。

「日本は地震大国(ひいては津波のリスクもある)だから原発は危険だ」という議論は前者の人からよく言われる。確かにリスクとして存在することは間違いない。

でも、ふと思ったんだが、日本は地震大国でもあると同時に火山大国でもある。
フィリピンのピナツボ火山の噴火では、噴煙で日射がさえぎられ冷害の影響が出たわけで、太陽光発電への依存度があまりに高くなると、今度は火山の噴煙で影響を受けるリスクなどもあるのではないか。
今回の原発事故について869年の貞観地震を想定に入れなかったことが反省点とされているが、1707年に宝永大噴火を起こした富士山の噴火と火山灰のリスクも考えないと片手落ちになろう。



ということで、結局よくわからない。


こんな自分の立場を「僕は半原発派です」と言っているが、これはウケるときとスベるときがある。

スベるときは議論が原理的な対立に終始しているときが多いような気がする。


まあ、そういう状況を承知で発言するんだから自殺行為なんだけど。


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