一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『明日のコミュニケーション』

2011-11-27 | 乱読日記
さとなおさんの新刊。

ソーシャルメディアが広まるにつれ、人々が限られた発信者からの情報を受け取る形から、「共感」を通じて自らも伝達者になりながら広がっていくという形に変わっていく中で、企業や広告はどう対応すべきなのかを語っています。

助けあいジャパンなどのプロジェクトがソーシャルメディアを通じていかに瞬時に立ち上がったかなどの豊富な事例をもとにテンポよく読ませます。

僕自身はソーシャルメディアを全然使いこなせていないので「なるほどなぁ」と感心するだけなのですが、「共感」というキーワードに関して思ったことは、「ずっとブログやツイートを読んでいると、その人の文体になじみが出てくるので本もスムーズに読みやすくなる」ということ。
これは書籍の販売上もプラスになると思います。
内容的には「AIDMA」とか「SIPS」などいかにも(元)広告代理店の人のプレゼンっぽい概念が出てくるあたりはあまり好みではないのですが、語り口の馴染み方はそれを相殺して余りありました。

ただ、これがメルマガなども出している人だと、著書に新味がないと厳しいのかもしれませんね。


さて、ポイントになるのは、従来は家族というプラットフォームが人間関係、コミュニケーションの中心にあり、「お茶の間」に情報を届ければ全体に伝えることができたのが、それぞれが職場、学校、趣味など複数のつながりを持って家族という中心がなくなる「個別プラットフォーム時代」になってきた。
これは広告にとって逆風でもあったのですが、ソーシャルメディアの登場でそれぞれのつながりが共通の構成員を通じて複層的につながることになり、情報が拡散しやすくなった。
なので、これをうまく利用すれば・・・ということになります。

概念図としてはこれ



こういう中心のない人間関係が、ソーシャルメディアを通じて複層化したものになるといいます。




このへんは説得力はありますし、なるほど、と思います。



ただ自分について言えば、ちょっと違う感じです。

米国の友人からFacebookにしつこくお誘いが来た(というかメアドで検索するとFacebookで自動的に招待メールが来るのだと思うが)ので試しに登録してみたのですが、「プロフィールの公開設定はあとでできます」というのを信じたら最初に一瞬公開されてしまったようで(Facebookって全体に日本語がちょっとおかしくてわかりにくいと思いません?)、そうするとおせっかいにも「友達では?」などというレコメンデーションを流しまくるようで、非公開設定に変更する前の数分に、勤務先の人間から友達リクエストが来ました。

Facebookまでやって友達が会社の連中がほとんどというのも悲しい感じもするし、ただほうっておくとそちらの「友達」の人数は簡単に増えそうで、そうなると内輪のコミュニケーションばかりになったり、ROMってる奴(そういう「友達」を増やすことに意味があるのか、と考えてしまうこと自体古いのかもしれません)から「こんな店に行ってるんだ」などとつっこまれるのもいやなので、その辺の事情を説明してとりあえず保留にさせていただきました。

上で言えば僕においては、哀しいことに会社というプラットフォームが他に比べて強すぎるせいなのでしょう。
それに、同年代の友人はほとんどTwitterもやってなかったりするので「ソーシャルグラフ」どころの話ではないという現実があります。

そして、そもそも付き合いにも濃淡とかジャンルの違いがあるので、それをフラットに並べてというのもどうしても抵抗があります。
全然関係ない人から妙な突っ込みをされてもスルーすればいいのかもしれませんけど、それ自体面倒ですよね。
それに友達リクエストを拒否するのってけっこう波風立ちそうですし。


結局「目黒の秋刀魚」のような無難なことを書いたり、「いいね!」を発表するだけの場になってfacebookの広告営業の手助けをすることになりそうなので、現在のところFacebookは引きこもり状態です。


まあそれでも今日のコミュニケーションは足りているので、とりあえずはよしとしてます。



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