連休中放っておくと寝坊ばかりしてしまうので、一日を有効に使うためにも朝一の回に予約をして六本木ヒルズの映画館に行きました(ネットで予約できるのは便利ですね)。
ストーリー自体は既に有名ですがアメリカCBSテレビのニュース・キャスター、エド・マローが1950年代の「赤狩り」のさなかにマッカーシー上院議員を批判し真正面から対決した戦いを描いたものです。
(公式HPはこちら)
とにかくエド・マロー役のデヴィッド・ストラザーンがカッコイイ。
セリフも実際にオンエアされたものだと思うのですが、簡潔・明瞭にして、しかも記者としての矜持にあふれたものです。
マッカーシーとの対決をはさんで冒頭とラストに挿入される報道プロデューサー協会(?)でのテレビの退廃を憂えるスピーチなどは、形容詞を熱く畳み掛けるように重ねて麻薬作用があるかのごとく説得的です。
いくつか(うろ覚えですが)心に残ったセリフを
「核兵器や洗脳に頼らずとも敵と対峙できる思想をわれわれは持っているはずだ」
「このまま娯楽と暇つぶしの番組だけになったとしたら、テレビはいずれ滅びるだろう」
アカデミー賞(監督、脚本、主演男優、撮影、美術)など数々の賞を受賞していますが、映画としては「上等な素材をそのまま提供した」というもので、それはそれで見事な腕前(生で出さずに水揚げしたところで「活け締め」して鮮度を保ったままお造りにしていると言う感じですね)なのですが、なにより、「今、このテーマを取り上げた」ことが評価された部分も大きいと思います。
逆に、いま、報道の自由とか正義が問い直されるべきと多くの人が思っている時代だ、ということでしょうか。
PS 娯楽の道具になっても未だにテレビが滅びていないことについてはちょっと考えてみようと思いますがまた後日。
ストーリー自体は既に有名ですがアメリカCBSテレビのニュース・キャスター、エド・マローが1950年代の「赤狩り」のさなかにマッカーシー上院議員を批判し真正面から対決した戦いを描いたものです。
(公式HPはこちら)
とにかくエド・マロー役のデヴィッド・ストラザーンがカッコイイ。
セリフも実際にオンエアされたものだと思うのですが、簡潔・明瞭にして、しかも記者としての矜持にあふれたものです。
マッカーシーとの対決をはさんで冒頭とラストに挿入される報道プロデューサー協会(?)でのテレビの退廃を憂えるスピーチなどは、形容詞を熱く畳み掛けるように重ねて麻薬作用があるかのごとく説得的です。
いくつか(うろ覚えですが)心に残ったセリフを
「核兵器や洗脳に頼らずとも敵と対峙できる思想をわれわれは持っているはずだ」
「このまま娯楽と暇つぶしの番組だけになったとしたら、テレビはいずれ滅びるだろう」
アカデミー賞(監督、脚本、主演男優、撮影、美術)など数々の賞を受賞していますが、映画としては「上等な素材をそのまま提供した」というもので、それはそれで見事な腕前(生で出さずに水揚げしたところで「活け締め」して鮮度を保ったままお造りにしていると言う感じですね)なのですが、なにより、「今、このテーマを取り上げた」ことが評価された部分も大きいと思います。
逆に、いま、報道の自由とか正義が問い直されるべきと多くの人が思っている時代だ、ということでしょうか。
PS 娯楽の道具になっても未だにテレビが滅びていないことについてはちょっと考えてみようと思いますがまた後日。
「テレビ考」、楽しみにしています。
この映画、とにかく観たいんです。
ハリウッドはマッカーシー・ネタというか赤狩りネタについては自戒という意味も含めて企画や作品が出てくるんではないかと思うんですけど。
ドルトン・トランボなどのいわゆる「ハリウッド・テン」の名誉回復への道とか周辺でのいろいろな歴史があることもあり、報道の自由だけでなく表現の自由の問題としてハリウッドにとっては半ば永遠のテーマのひとつになっている領域の延長上にある作品のひとつであろうとろじゃあは思っているところでございます。
あ~、映画観てぇ(TT)。
失礼いたしました・・・。
メルアド削除していただき、ハリウッドと赤狩りネタとでも修正しておいていただければと・・・。
お手間おかけして申し訳ありません。
「報道」というのはメディアが寡占化されていてある種特権的な地位を持っていてはじめて成り立つ(公平性とかモラルとか含めて)のかもしれませんね。
ろじゃぁさん
いやほんと、かっこいいですよ。
マローとそのチームに焦点を当てたので時代背景とかまで手が回ってませんが、それは欲張りすぎかも^^
PS gooのblogが管理者権限ではコメントは削除するかどうかのall or nothingの選択肢しかないんです、すみません(xx)(これは著作権への配慮なのか、それともシステム設計が面倒くさかったからなのでしょうかねぇ)